誰かと触れ合う、っていうことに対して、昔からとてつもない躊躇いがあったんだ。だって、一度関わってしまったら、関わりが深くなるほどに、いつか相手を滅ぼしてしまうから。
それでもまあ、どうでも良いような人間に対してはさ、割と便利な能力ではあったんだよ。たとえばボクがボク自身の「幸運」を信じて誰かを滅ぼしたいと願ったときって、大抵のことは叶っちゃうんだよね。絶望を殺してやりたいだとか、ボクを傷つけた人間に復讐してやりたいだとか、そういう目的のためにいろんな法則を無視した強運が必要だったりすると、大抵は幸運がボクの味方をしてくれるんだ。
――けれどね、ボクの祈りが届くのは、「誰かのため」を思って願い事をするんじゃなくて、ただボクが何かの「目的」のために願い事をした時だけなんだ。だから、もしもボクが誰かの幸せに焦がれてしまったら、誰かを想えば想うほど、そこにはボクに対してだけの幸運が残ってしまう。まったく、世界ってそう上手くは行かないものだよね。まあ、ボクなんかの意志でボクの望むように世界を変えてしまえるだなんて、本来はおこがましいにも程があるから、バランスとしてはこのくらいがちょうど良いのかもしれないんだけど。
「……っていうことだからさ、あんまりボクには近づかない方がいいよ?こんなこと、キミならもう分かってるって思ってたんだけど」
ボクなりに「それ以上踏み込まないで」という意思表示のつもりでそんなことを口にすれば、日向クンはちょっと怒ったような顔をして、「何でそうなるんだよ」とボクを咎めるような声を出す。
ああもう、これだから凡人っていうのはいただけないよね。何の才能も持たない人間は、だからこそ才能の恐ろしさを知らないんだ。ボクらはボクらとして生き続けている限り、ボクらが手にした力に縛られることを強いられ続けるっていうのにさ。
――強すぎるからこそ自分の才能には抗えない。そのことをボクらはとても恐ろしく思っているはずなのに、それを失えば他に何ひとつ持っていないこともちゃんと知っているから、同時にしがみ付こうともするんだよ。
「ねえ、日向クン。ボク達が才能を持ちながらも当たり前みたいに生きていけるのはさ。あの場所に集まるボク達同士が、等しく強い何らかの才能を持っているからなんだ。そうだなぁ……個性のぶつかり合い、とでも言うのかな。……とにかく、ボク達の才能は全く別のもの同士ではあるけれど、それらひとつひとつがとても強いものだから、互いの影響を打ち消しあって普通でいられる。……これがどういうことかは分かるよね?本来、キミみたいな凡人はボクはおろか、彼らと関わることさえ自殺行為になるんだよ」
その辺、ホントにキミは分かってるのかな。そう言って溜め息をついてみたら、日向クンは呆れたみたいな顔をして、「それが何だって言うんだよ」と溜め息ごと返された。
「とりあえず、俺が凡人だっていうのはもう分かったから。あんまり何度も繰り返すなよな」
「……そんなこと言って、日向クンがボクに言わせてるんじゃない。ねえ、知ってる?凡人に凡人であることを教えてあげるのってさ、結構疲れるものなんだよ?」
何しろ全てが普通でしかないくせに、どの人間も自分が特別だと思い込んでいるんだからね。根拠も無い可能性に意味の無い希望を見出して、才能ある人間と同列に並んでいる気になっているんだから愚かだよ。どうせそのうち本物の希望を前に自分が平凡でしかないことを知らしめられて、勝手に絶望して行くのにさ。
「絶望でないこと」だけが彼らの唯一の取り得だっていうのに、それすらも自分から手放したりしてしまったら、彼らの価値って一体どこにあるんだろう。
「あのなぁ……普通のヤツが自分が普通でしかないって気付いてないわけないだろ。あえてそこに触れてやるなよ」
「……そうなの?だって、彼らは突然盲目的なまでに彼らが希望であることを主張しようとするんだよ?急に身の丈に合わないことばかり叫んでさ、団結力がどうとか、よく分からない理論まで持ち出してきたりして……」
以前、希望ヶ峰学園でよく起こっていた「パレード」でも、そんな光景がよく見られたっけ。思いながら日向クンの答えを待てば、日向クンは「だから、それは……」ともどかしそうに息を吐く。
「そんなのはそいつが自分に言い聞かせてるだけだって。……お前にだってあるだろ、そういうのはさ」
そうやって意味深なふうに日向クンが言うものだから、咄嗟にその言葉の意味を考えてはみるけれど、結局意図を読み取れないままで、ボクは茶化すような言葉を投げる。
「うーん……。自分ではよく分からないけど、さすがに日向クンが言うと実感こもってるよね。そう言われると、もしかしたらあるかもしれないって思えてくるよ」
「……悪かったな、所詮凡人で」
そう言って少し拗ねたような日向クンをちょっと離れたところから黙って眺めてみれば、「何だよ?」なんてぶっきらぼうなふうに返される。
――うーん、ボクがボクに言い聞かせていること、か。そんなのホントにあるのかな。「幸運」の才能を持っていて、きっとそれ自体はどうしようもなく他の才能には劣っているけれど、それでも才能で光り輝く「希望」のことを、誰よりも深く愛している。ボクがボクであることを定義するものなんてたったそれくらいしか無いっていうのに、矛盾していることなんて何も無いって思うんだけど。
「ま、いいか。……それでさ、結局分かってくれた?キミが凡人なりに希望として未来を歩いて行くって言うんなら、あまりボクに近づかない方が身のためだよ?」
これはついでの話だけど、その方がボク自身も日向クンをただの凡人だと思わずに、「絶望を乗り越えた希望」だって思えるような気がするし。そんなことを念を押すように言葉にしたら、日向クンは「そういうわけには行かないだろ」なんて返してくる。
「別に、才能どうこうなんてどうだっていいだろ。……そんなことを気にしてお前やみんなから離れて生きるだなんて、俺は絶対ごめんだぞ」
「あのさぁ……これに関してはキミがどう思うか思わないかじゃないんだって。才能の存在っていうのはキミが思っているよりずっと強いもので、誰かの決意みたいな生易しい感情で塗り替えられるような甘いものなんかじゃないんだ。そうやって才能と肩を並べて歩きたがるキミみたいな人間が、真っ先に絶望に堕ちて希望である彼らを引き摺り下ろそうとするんだよ」
元々、「超高校級の希望」という才能はカムクライズルの持ち物だ。間違っても今ボクの目の前にいる日向クンのものではないし、私情を交えてしまうなら、ボク自身、そうであってほしくないとも思ってる。
――けれどね、だからこそ、ボクは日向クンを遠ざけなくちゃいけないんだよ。だって、彼は「凡人」だけど、「希望」であることには間違いないからさ。ボクは彼を守りたいって思うけど、ボクが日向クンの幸せを願おうとしてしまったら、きっとボクの「幸運」は日向クンに不幸をもたらして、ボクに何かを与えようとしてくれてしまうと思うから。
時々才能を持っている人間まで追い詰めようとしてしまうボクの罪深いこの才能は、何も持たない日向クンのことなら尚更あっさりと壊してしまうと思うんだ。それが怖くて仕方ないから、ボクは日向クンに触れることの出来ない場所へ逃げ込みたいと思っているし、出来る限り近づきたいとも思わない。――ううん。思ったりしちゃいけないんだよ。
「俺が才能にあてられて絶望に堕ちるだなんて、そんなのはお前の想像にしか過ぎないものだろ。……まあ、確かに、前の俺なら絶望してあいつらを引き摺り下ろしてやろうだなんて、そんなふうに思うことも有り得たのかもしれないけどさ」
「……今はそうじゃないって言うの?」
「そりゃ、絶対とは言い切れないけど……。それでも、たぶんな。だってさ、今の俺はお前やみんなが超高校級の才能である前に、ちゃんとひとりの人間だってことを知ってる。才能を持っているからって何もかもが上手く行くわけじゃないってことも、才能を持った人間にしか分からない苦しみがあることも、そのせいで、凡人と同じ……いや、違うな。それ以上に絶望してしまいかねないことだって」
「けど、それとキミが何も持っていないこととは関係が……」
「うーん……だからさ。別に、俺が凡人だからみんなの才能に潰される、なんてことは無いんだと思う。……そうじゃないだろ。お前らは、お前ら自身が一番自分の才能と戦っているんだろうってことくらい、いくら凡人でしかない俺にだって分かってるよ」
まあ、これでも一度は才能を持って絶望したってことになってるからさ。日向クンはそう言って、ボクを真っ直ぐ見やって言葉を続ける。
「たとえ俺がカムクラ本人じゃなくたって、身体は確かに俺のものなんだ。……絶望するのがどんな感覚なのかとか、希望を折られる痛みとか、そういうのはちゃんと分かるよ」
「……日向クン?」
「あの痛みを知っている俺が、そうやって必死に自分と戦って保っているお前達の才能に嫉妬して絶望するなんてことはたぶん、有り得ないことだと思う。……というか、有り得ちゃいけないだろうしな」
俺のためにも、お前のためにも、それから、俺の中から消えてしまったあいつのためにも。日向クンははっきりした口調でそんなことをボクへ語って、それからひとつの疑問を口にする。
「……なあ、狛枝。お前が俺を遠ざけようとするのはさ、カムクライズルじゃなくなった俺がただの予備学科生でしかなくなって、「凡人」だから目障りなのか、それともお前の才能が俺の「希望」を奪うことが怖いからなのか……どっちだ?」
「え……?」
「……こんな言い方をするのはどうかとも思うけどさ。俺だって、お前の幸運が何もかもを幸せにするわけじゃないことは分かってる。……けど、お前の幸運が幸せにしないのは何も周りの人間だけじゃない、お前自身もだろ。お前はいつも自分のことを「幸運」だって言うけどさ、それが望まない幸運だったことだって、たぶんたくさんあったんだよな」
日向クンはいつもより少しゆっくりした調子でそんなことをボクへ語って、「なあ、本当のところを教えてくれよ」とボクに答えを急かしてくる。
――ええと。ボクの「幸運」が、ボクにとって望まない幸運だった、って。それはどういう意味だろう。
日向クンの物言いに混乱してしまって、ボクは少しの間、答えないままで黙り込む。痺れを切らさずボクを待ち続けてくれる日向クンは、やっぱり前とは少し変わった。だって、島を出る前の彼だったら今ごろすごく苛々したような顔をして、「何黙ってるんだよ」なんて不機嫌そうに言いながら、ボクを叱り付けているような気がするからね。
「……とりあえず、ボクがキミを凡人だって思ってることは本当だよ?」
何も思いつかないままひとまずそんなことを話してみたら、「それはもう知ってるって」と呆れたように返される。
「むしろ、お前が俺を凡人だと思っていないわけがないだろ。お前は何かあるといつも二言目にはそれだからな。……お陰でこっちは怒る気も起きなくなってる」
「……それじゃあ、日向クンは何を聞きたいの?他人に対して的確な答えを期待しようって言うならさ、もう少し分かりやすく説明してくれないかな」
平凡でしかない人間ほど、小難しい言葉を使って物事を説明しようとするんだよね。心の中でそんなことを呟けば、日向クンは「そうだな……」なんてちょっと悩んだような仕草をしてから、言葉を選ぶようにして先を続ける。
「繰り返すようで悪いけど、お前が俺を遠ざけようとする理由は何だよ?俺が目障りだからか?」
「何でそうなるの。別に、ボクはキミのことを目障りだなんて思ってないよ?キミが凡人であることは否定しようの無い事実だけど、絶望を乗り越えたキミは、ボクにしてみればちゃんと希望に成り得るって思えるし……」
それどころかキミのことをどうにか傷つけないようにって、ボクがこんなにもボクから離れるように教えてあげているって言うのに。その忠告を聞きもしないでずけずけとボクに踏み込んでこようとするなんて、まったくデリカシーの欠片も無い人間だよね、日向クンは。そんなことを思いながらちょっと睨んでみたら、日向クンは呆れたような顔でボクへ溜め息なんて吐いてくる。
「……俺は別に、お前の傍に居たからって不幸になるとは思ってないぞ」
「いきなり何の話……?ボクは別に、そういう意味で離れろなんて言ってるわけじゃ……」
唐突な日向クンの言葉に驚いてしまって、動揺を隠そうと強がりを口にしてしまえば、日向クンはあまり気にも留めない様子で「いいから聞けよ」とボクの言葉を遮ってしまう。
「……大体、不幸になるならとっくになってるだろ。俺はな、狛枝。今の俺自身を不幸だなんて少しも思っちゃいないんだ。……そのことだけで、未来の俺がお前の「幸運」のせいで不幸になるだなんて有り得ないって断言してもいい」
「何を根拠にそんなこと……」
「確かにお前が希望を愛することは、お前が満たされる「目的」のひとつにしか数えられていないのかもしれないけどさ。それならお前はどうやってプログラムの中で俺の「希望」を信じたんだ?俺の「希望」が何なのかも分からないまま、漠然と信じるだなんて不可能だろ」
たぶん、あの時のお前は俺の中の「希望」じゃなくて、俺という存在自体を信じたんだ。そんなことを大真面目に語る日向クンは、ボクが逃れられないようにとじりじりと距離を詰めていて、気付けばとても近くに姿があった。
「お前が何かを信じることが、必ず不幸に繋がるなんてことは無いんだよ、狛枝」
「……何それ。キミ自身がそれを証明したとでも言いたいの?」
「いや、まあ、そうストレートに言われるとあまりにも驕ってる気がして気が引けるけどさ……」
一応そうならなくもないのかな、と。控えめに語った日向クンは、そのままボクへと真っ直ぐに手を伸ばして、ボクの手のひらを強く握った。咄嗟に振り払おうとしたけれど、きつく握られた手を解いてしまうことが出来なくて、ひどく焦りに襲われてしまう。
――だって、誰かに触れれば触れるほど、誰かに関われば関わるほどに、ボクは誰かを不幸にする、から。
「……ああ、嫌だな。こんなに自分の幸運が憎いと思ったことは初めてかも」
だって、触れられた手のひらがとても心地良くて、つい離したくないと願ってしまう。今すぐ離さなければと思うのに。こんなぬくもりを知らされないまま居れば、キミのことをもっと強く突き放してしまえたかもしれないのにな。
――こんなのはずるいや。キミを不幸にしたくはないのに、この幸福から抜け出せなくなってしまいそうになる。
「別に無理に離すことはないだろ。……何度も言ってるけど、別にこんなことで俺がどうこうしたりはしない」
「でもさ、怖いよ。凡人の日向クンの言うことなんて、やっぱり信頼性に欠ける気がするし……」
精一杯皮肉を込めてそう返せば、日向クンは大して動じていないみたいなふうをして、「けど、俺はお前が信じるべき「希望」でもあるんだろ?」とさらに返してくる。
「日向クンってそんなにずるい性格してたっけ。……ねえ、本当にどうなっても知らないよ。ボクにこうして触れ続けてさ、後になって後悔した、なんて言わないでよね」
「望むところだって。……先から言ってるだろ。不幸になるならとっくになってる。ここから先の未来には、幸福だけしか待っちゃいないさ」