残すところを最後の島ひとつとした、四度目の裁判を終えた夜のこと。狛枝はジャバウォック公園の片隅で、一匹の存在を待っていた。

「……ねえ、出てきてくれるかな?キミに用があるんだけど」

そう呼びかけた狛枝の声に反応して、待ち人――もとい、「待ちウサギ」は姿を現す。自分を呼んだのが狛枝であることを確認すると、そのウサギ――モノミは、とても嬉しそうな顔で「どうしまちたか?」とほっこり笑った。

「相変わらずお気楽そうな顔しちゃって……ボクは別に、助けを求めるためにキミを呼んだわけでも、キミを喜ばせるためにキミを呼んだわけでもないよ」
「それでも、こんな悲しい夜でちゅから……。あちしをわざわざ呼んでくれることが、先生はとても嬉しいでちゅ」

みんなは、もう眠ってしまったんでちゅかね。寂しげに首を傾げたモノミに、狛枝は「……知らないよ。彼らのことなんて」と言って、笑みを消し去った無表情を浮かべてみせる。

「うう……そんな寂しいことを言わないでくだちゃい。みんな仲良くが一番でちゅよ。それで、どうしたんでちゅか、狛枝君?先生に、何かご用でちたか?」

きょとん、としたふうにモノミはいくらか瞬きをして、狛枝の言葉を待っている。
過去、モノミが狛枝のもとに現れに行ったことは数あれど、狛枝がモノミを呼びつけたことは一度も無かったから。モノミにとってみれば、彼の用件がたとえどんなものであろうとも、こうして自分に用があるからと時間を割いてくれること自体、教師冥利につきるようで嬉しかった。

「……ねぇ、キミはさ、何のためにボクたちのために戦うの?あんなふうに扱われてまで、キミが頑張り続ける必要ってあるのかな」

そうして、狛枝はモノミへ本題を投げかける。ビックリハウスで手にしたあの「データファイル」が真実ならば、少なくともこの「教師」が語る、「未来を担う希望たち」という言葉はまやかしだ。もしもモノミがそれを知っているのなら、当初「ウサミ」と名乗っていたこの存在は、一体何のために在り、また、どうして彼らなんかのために戦おうとするのかと。もしも何も知らないのだとすれば、どうしてああも盲目的に手を差し伸べようとするのかと。それを確かめるために、狛枝はひたすら自分を犠牲に生徒を愛する、このモノミという教師を呼びつけたのだ。

「うーん……?ええと、どういうことでちゅか……?」
「そもそもさ、キミはどこまで知ってるの?このコロシアイ修学旅行が何のためのものだか知ってるの?未来機関が何だか知ってる?裏切り者が誰だか知ってる?」
「あの、あの、狛枝君……?」

質問攻めにされてわたわたと手足をばたつかせるモノミにも揺らがずに、狛枝は無慈悲なまでの冷徹さでモノミを射抜く。腕組みをしたまま無言の圧力で答えを急かせば、モノミは焦りのあまりに「ええと、ええと……」と口ごもって、言葉が続かず消え行きそうだ。

「……ハァ。キミさぁ、よくそれで教師だなんて名乗れるよね。……いいよ。仕方が無いからひとつずつ聞いてあげるけど、質問には出来るだけちゃんと答えてよね」
「うう、面目ありませんでちゅ……」

しょぼん、と小さな肩を落として落ち込んで、モノミは「あちしにお答えできることなら、がんばってお答えしまちゅから」と、涙目のままで狛枝へ返す。一見怯えているようにも見えるその行動は、紛れもなくモノミの狛枝に対する真摯さから来るものなのだろう。

「それじゃあ、まずは聞こうか。……といっても、これは今までにも散々聞いていることだけどね。ねぇ、モノミ。キミはこのコロシアイ修学旅行が何のためのものだか知ってるの?」
「それはでちゅね……。ううん、あちしには分かりまちぇん。モノクマが何を企んでるのかわかったら、あちしももっとみなさんのお役に立てたかもしれまちぇんのに……」
「……ふうん。ならさぁ、モノクマじゃなくて、キミの目的って何だったの?」
「ふえ?あちしの目的でちゅか……?」
「そうだよ。……正確には知りたいのはキミの目的だけじゃなくて、裏切り者の目的もなんだけどね。何かあるから、キミはボクたちをこんなところに連れて来たんじゃないの?」

もしかするとモノミの「目的」だけは、正真正銘「希望」に繋がるものかもしれない。狛枝はそう思って、目の前で大きくリアクションを取り続ける奇妙なウサギを一瞥する。
――けれど、その場合分からないのは、それなのにモノミが彼らの味方をしようとすることだ。正体を現さない裏切り者の意図は知らないけれど、少なくとも、モノミの彼らへの協力姿勢は本物のようにボクには見える。あのデータファイルに書かれた「真実」はおそらく嘘偽りないものだろう。それなのに、「モノミ」は彼らに少しも協力を惜しまないから、本当のところが読み解けなくなる。

「あちしは、元々修学旅行の引率の先生でちたから……今は、みなさんを無事にお家に帰してあげることだけが目標でちゅよ」
「へぇ……本当にそれだけ?それにしては随分話せないことがあるみたいだけど、キミ、何か隠してない?」
「うう……お話できないことは、たしかにありまちゅけど……。でもね、先生がいつも一番に願っているのは、みんなが少しでもしあわせになれることでちゅ。もう誰もコロシアイなんて悲しいことをしなくて済むように……みなさんにとって、やさしい毎日が来るように、あちしはいつも祈っていまちゅ」
「なるほどね……。まあ、別にどうでもいいけど。それじゃあさ、その願いが裏切られるかもしれないとしたら、キミはどうする?」
「ふえ……?」
「だからさ、こういうことだよ。キミはボクや彼らをコロシアイ修学旅行から救おうとしているけどさ、そうすることでキミ自身の立場が危うくなるかもしれないとしたら、キミは一体どうするの?」

ボクらが「超高校級の絶望」で、「希望」を滅ぼすために生きている存在だって、キミは知らずにいるかもしれないけれどね。失われた記憶が戻ったら、ボクたちは希望にとっての敵でしかないんだよ。狛枝は思って、自嘲を含めて口元を歪める。

「狛枝君……?」
「ほら、そう思えばさ、ボクらに協力するのってかなり危険なんじゃないのかな。大体、ボクらが記憶を失ってる理由はキミだって知らないんでしょ?それなのに、無理にボクたちの側に付く必要なんて無いんだよ」

そんな狛枝の様子を見やって、モノミは不安そうな表情でおぼつかない思考を巡らせる。
――もしかして、狛枝君は、なにか知っているんでちょうか。思いつつ、モノミはぶんぶんと首を振る。たとえば狛枝君が言うように、この修学旅行を無事に卒業したあとに、みんなが絶望にかなしい想いをすることになってしまっても。それでもあちしは信じているんでちゅ。あちしの大事な大事な生徒たちが、とってもとっても強いことを。あちしがみんなのことを見守れなくなってしまっても、とってもとっても強い絆で、手をつないで笑ってくれることを。
――そして、それはね。あなたもおんなじなんでちゅよ、狛枝君。心の中で呟いて、モノミは狛枝に抱きつきそうになるのを何とか堪える。

「あのね、狛枝君。先生は、生徒のことを信じるものでちゅ。裏切られることは、とっても悲しいことでちゅけど……。それでも先生は、みなさんのことを信じていまちゅ。ここにいないみんなのことも、ずっと、ずっと信じていまちゅ」
「……は?キミは、すでにキミを裏切った奴らのことも信じるって言うの?」
「もちろんでちゅ。あちしにとって、みなさんは大事な大事なひとたちでちゅから。いいことをしたら、いっぱいいっぱい褒めてあげたいって思いまちゅし……もし悪いことをしてしまっても、またやり直せるように、先生がいっぱいいっぱい叱ってあげまちゅ。どんなことをしても、みなさんがあちしの生徒でなくなることはないんでちゅよ。……先生が、みんなを嫌いになることなんてないんでちゅ。だからね、あちしはみなさんのために戦い続けるんでちゅ。あちしがみんなのことを好きだから、あちしは戦い続けるんでちゅよ」

包み込むようなゆるやかさでモノミは語って、冷たい眼差しで固まったままの狛枝に、ふわり、ふわりと微笑みかける。それに一瞬毒気を抜かれたような感覚を覚えてから、狛枝は現実に帰って嘲るように少し笑った。

「ハァ……つくづくおめでたい考え方だよね、キミの頭って。ま、ロボットだから仕方ないのかな?」
「ふゆゆ……ごめんなさいでちゅ……」
「……まあいいや。とりあえず、これ以上キミと話していてもどうしようもないって分かったからね。……行っちゃっていいよ?もうキミに用は無いから」
「こ、狛枝君……?」
「……何、行かないの?なら、ボクは勝手にコテージに戻らせてもらうよ。こっちから呼びつけておいてなんだけど、いつまでもキミと話している時間は無いんだ」

そうとだけさらりと言い残して、狛枝はモノミを振り返ることもせずに、月夜のジャバウォック公園をあとにする。
取り残されたままのモノミはぽつんと立ち尽くしたままで――愛すべき生徒の面影が消えるまで、いつまでも、いつまでも、その孤独な背中を見送っていた。