「U-17の代表合宿」という企画が年に一度行われているらしい、などという噂は以前から幾度となく囁かれていたけれど、結論から言えばあれは真実だった。「実はあれって高校生だけじゃなく、中学生も参加してるらしいぜ」と。いつだったか同級生のテニス部員が言っていた通り、僕もまたこうしてその合宿に参加しているのだから、納得するよりほかにない。

それにしても、周りに広がるこの光景にはまだまだ慣れない。何と言っても中学テニス界はもちろん、高校テニス界でもトップクラスの選手がこの場所にはゴロゴロ居るのだ。果たしてこんな環境の中で、最後まで脱落せずに生き抜くことができるのだろうか。

大体選抜といっても、実は僕自身は実力から選ばれたわけではない。今回は各校から1名ずつの選抜外選手の帯同が許されていて、運良くというべきか、青学からは僕が選ばれたというわけだ。

今日は合宿の5日目で、この場所の雰囲気にだけなら何となくだけれど慣れてきた。寮の部屋は帯同者と選抜メンバーでは分けられているから、僕が先輩たちと一緒になることはないけれど、先輩たちはかつての仲間と一緒になっていることが多いみたいだ。

「何ね、今日から部屋割り変わっとや?」
「前ん時もそぎゃん風にしとったけん、今回も同じ方法ば取っちょるど」
「……ん、俺ん桔平と一緒たい。としゃが、ダブルス組めるるとや?」

ぼんやりと立ち尽くしたまま先ほど配られた新しい部屋割り表を眺めていると、僕の傍を耳慣れない響きの二人が通り過ぎていく。なんとなく振り返れば、そこに居たのは千歳先輩と橘先輩。中学時代に「九州二翼」と呼ばれていたらしいあの二人は、一度はペアを解消していたけれど、高校に入って再びダブルスを組んでいるみたいだ。僕も二人の試合は何度か見たことがあるけれど、ちょっと名の通っているダブルスでも、あの二人を倒すのは難しいんじゃないだろうか。

「うっわ、真田先輩と同室とか……マジ無理っす……」
「お前がおとなしくしていれば済むだけの話だろう、赤也。一週間くらい我慢してみせろ」
「柳先輩……そう簡単に言うっすけどねぇ……」

反対方向からは、なにやらがっくりと肩を落とした切原先輩と、相変わらず感情の読めない柳先輩が歩いてくる。二人は同じ立海大付属高校へと進学し、それぞれ二年と一年としてテニス部に所属しているみたいだ。

中学時代に「三強」と呼ばれていたあとの二人――真田先輩と幸村先輩もそれぞれテニス部に入部しているし、立海大付属中でレギュラーだった面々は、全員がそのままテニス部に身を置いているということらしい。

「……なんで遠山と一緒なわけ」

そこでふいに耳慣れた声が聞こえてきて、思考ごと一旦停止する。――越前先輩。以前は青学テニス部に正式に所属していたけれど、今は準部員扱いで、大会の開催日時に合わせて頻繁にアメリカに渡っている先輩だ。

同じ学校の、同じテニス部に所属しているというのに、僕は未だにこの先輩に上手く話しかけることができずにいる。別に、向こうで大会が無い時には青学のテニス部にだってよく顔を出しているのだから、話す機会が無いわけじゃない。だけど――何と言うんだろう。僕にとって越前先輩はとにかく雲の上の人だから、話しかけるきっかけが見つからないのだ。

僕がテニスを始めたのは今年のことだから、正直な話、以前の先輩のことはよく知らない。けれど、青学で後輩相手に鮮やかにプレイする姿を見て、その強さに惚れ惚れしたのは事実だ。なんと言っても、越前先輩のすごいところはただ強いだけじゃない、というところにある。アクティブなのにどこか綺麗さを感じさせるというか、とにかく、試合運びが流れるようで、見惚れてしまいそうなほどに美しいのだ。

「ええやんコシマエ。せっかく一緒なんやし、仲良うしたってや!」

そんな先輩の傍らには、あまりよく知らない赤髪の先輩の姿。名前は――遠山先輩と言っただろうか。四天宝寺の現部長だと、前に誰かに聞かされたような気がする。

繰り返すようだが、僕がテニスを始めたのは中学校に入学してから――つまり、今年のことなのだ。だから半年経った今でも名前と顔が一致しない先輩は少なからず居るし、今年の全国大会の日取りには越前先輩はアメリカへ渡っていたこともあって、先輩の交友関係なんて余計に分からない。

――ただ、半年の間、見続けてきて分かったことと言えば。

「……くっつかないでくれる。鬱陶しいんだけど」
「何や、相変わらずノリ悪いなぁ」

そう、こうやって、あまり他人を近づけようとしない性格だってこと。青学の先輩には少し心を開いているみたいだけれど、基本的にはクールだし、テニス以外のことで他人に興味を持たないのが越前先輩という人だろう。

そんなことをぼんやりと考えているうちに、二人は僕に会話が届かないくらい前方を歩いて去って行く。遠山先輩のことはよく知らないけれど、越前先輩、嫌がってるんだろうなぁ。先輩のこと、あまり困らせてほしくないのに。そんな感想を抱いた自分に少しの違和感を覚えつつ、僕も宿舎へと帰ることにした。



***



その日の夜、明日の練習メニューについての連絡を命じられた僕は、普段訪れることのない先輩方の寮室を訪ねて回っていた。テニスにかけては世界が違う人たちだから、正直、普通に会話をするだけでも随分緊張してしまう。中でも立海の幸村先輩なんかはテニスをしている時とは雰囲気が全然違ったりして、ちょっと戸惑ったところもあった。

さて、残るは越前先輩たちの部屋だけだ。今週の部屋割りは基本的に四人単位で、越前先輩と同室なのは桃白先輩、遠山先輩、財前先輩の三人だったような気がする。

「……すみません」

コツン、とノックをすれば、「……誰?」と聞きなれた声が部屋の向こう側から響く。「明日の練習メニューの件で連絡なんですけど」と用件を告げれば、少しの間があってから、静かに扉が開けられた。

「お疲れ様です!」

ついつい気合いの入った挨拶を返せば、相変わらずの無表情で越前先輩は僕を見下ろした。――青色の瞳がとても綺麗だなぁ、と。思ってしまったのは、さすがにちょっと場違いだったかもしれない。

「……今、俺以外に誰も居ないんだけど」
「あ、えっと……大丈夫です。このプリント、これに明日のことが書いてあるから各部屋に渡すようにって、コーチが……」
「ふうん?……ども」
「先輩、お一人なんですか?ご一緒の先輩方は……」
「知らない。勝手に出て行ったんだから、そのうち勝手に戻ってくるんじゃない?」

わざわざあの人たちの行動把握してられるほど暇じゃないし。そうつっけんどんに返した越前先輩は、「で、用はそれだけ?」と少し冷たげに僕を見やる。

「あ、はい。他の先輩方にも伝えておいてもらえれば……」
「そう。……じゃ、お疲れ、ってことで」
「へ?」

ばたん。それを最後に扉は閉められて、僕一人が静かになった部屋の前へと残される。――もともと、越前先輩はクールな人だ。僕の記憶においては他の誰かへの労いなんてほとんど聞いたことはないし、大体の人間に対しては「まだまだだね」の一言で全てを片付ける。だから、どんなに素っ気無くても「お疲れ」なんて言葉を聞けるとは思わなくて――だから、つまり、その。

「……アンタ、そこで何しとるん」
「おおぅえ!?」

思考に没頭していると、背後から呆れたような響きで声を掛けられる。あまりに突然のそれに過剰に驚いて振り向けば、「どんだけ驚いてんねん。俺は化けモンか」と財前先輩に溜め息を吐かれてしまった。

「あ、えっと、明日の練習メニューについてその、連絡しに来てただけなんですけどっ」
「あー……中、誰か残っとったっけ」
「はい、その、越前先輩に説明しておいたので、詳しくは先輩から聞いてください!あー、えっと……その、それじゃあ失礼します!おやすみなさい!」

あまりのパニックについついそこから逃げ出せば、財前先輩はどうやら僕を引き止めるだけの暇も持てなかったようだった。「なんやっちゅーねん」とあからさまに怪訝そうな表情を浮かべていたところまでは確認できたけれど、その後はその場から離れることにただ夢中で、彼がどんな行動を取ったのかまでははっきりと記憶してはいない。



***



結局昨日、自室に帰って自分があれほどまでに取り乱した意味を考えてみたけれど、どうしても答えはひとつしか浮かんではくれなかった。けれど、それを素直に納得してしまうのはこう、いろいろな意味でアリなのだろうか。――いや、もちろん今の時代、道徳的には別に問題ないのだろう。僕自身、他人のことだったらいちいち野暮なことを言うつもりもなかっただろうし、実際、同姓だけが集まる種目にはそういうカップルが多いことだって理解している。

けれど、自分のこととなれば話は別だ。今までは曲がりなりにも女の子を好きになってきたわけだし、いくら越前先輩がどちらかと言えば中世的で、挙げ句女子顔負けの整った顔立ちをしていたとしても、それですんなり受け入れてしまって良いものかどうか。

――とはいえ、ここ数日のこの感じは否定出来そうにもないし。

「とは言ったって、別に積極的な方でもないしなぁ……」

そもそもまともに話したのだって昨日が初めてだし。まったく厄介な人を好きになってしまったものだと自嘲こそすれど、こんなこと、誰に相談出来るものでもない。

――駄目だ。とりあえず結論は後回しにするしかないか。

ひとまずの答えをそういうことにしておいて、僕は今日の最初の練習場所へと足を運ぶ。帯同者は球拾いや用具の準備など、雑用のようなメニューが主だけれど、レベルの高い練習を直に見られるのは何かと勉強になることも多い。

「ほーら、天才的だろぃ?今日は絶対負けないからな!」
「うん、やっぱり丸井君はすごいや!でも、今日は俺だって負けないC〜!」

そうして何気なく傍らのコートを見やれば、「綱渡り」を決めた丸井先輩の決め言葉に芥川先輩が賛辞を贈っている、実にほのぼのとしたワンシーン。

この二人の間柄については僕もよくは知らないけれど、たぶんとても仲が良いんだろうなぁとは思う。たしかついこの間も練習が終わったあとに一緒にお菓子を食べていたりしたし、学校が違うのに、丸井先輩が芥川先輩のことを起こしに行ったりもしていたから。

誰かに聞いた話だけれど、芥川先輩の「眠り姫」っぷりは中学時代からの名物らしい。氷帝学園中等部でレギュラーの座を守っていた頃にも、眠り通しで練習を終えることが度々あったそうだ。

「それにしても……」

周りを見渡せば、探し当てたいような、探し当てたくないような姿がここに無いことにふと気づく。練習試合とあってがやがやと騒がしいコートには、昨日練習メニューを直接託したはずの越前先輩の姿が無かった。

もとより誰かと一緒に居ることを好まない人だから、試合が無ければここに居ないことも考えられなくはないけれど――。それでもなんとなく気になってしまったので、「休憩!」のコールが掛かったと同時に、僕はコートを離れて周囲を散策してみることにしたのだった。

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