彼女の立ち振る舞いを見ていると、一人の少女を思い出す。洗練されてとても優雅なその姿は、まるで精密に形作られた人形みたいだ。超高校級の王女であるこの人は、その凛とした横顔で、きっと数限りない人達の羨望を集めているんだろう。

――まるで彼女みたいだ、と。そう思ってしまうのがソニアさんに失礼なことも、ちゃんと分かってはいるつもりなんだけど。

「あの、ずっとここに居たら疲れない?もし辛そうなら外の空気を吸ってくるといいよ。少しの間くらい、僕一人でも大丈夫だからさ」

そうして疲れた顔をしているソニアさんに声をかければ、「大丈夫ですよ。どうぞお気になさらず!」と、疲労の色を覆い隠した優しい笑顔で切り返される。それからすぐに視線を移して、ぼんやりとみんなが眠るカプセルを見つめるソニアさんがやけに物寂しげなものだから、僕は居たたまれなくなってしまって、何とかそれらしい話題を探そうとする。

――ああ、だけど、こんなところはあまり彼女に似ていない、かな。

彼女はどんな時も、余所行きに塗り固められた笑顔を崩そうとはしなかった。そうしないと自分を保っていられなかった、というのももちろんあるんだろう。それでもこんなふうに、誰かに見られていることを意識せず、ただ悲しみに身をゆだねられるほど、おそらく彼女は周囲の人間を信用してはいなかった。
一度だけ仮面を外した彼女の叫びを、僕はたしかに覚えている。何年も前に知り合った彼女ともう一度知り合ってまだ日が浅いあの日、僕に苦しいと打ち明けてくれたあの夜のことを。まだ解けてくれない呪いのように、そして何よりも尊い救いのように、僕はずっと覚えているんだ。

「ん、あれ……メール?」

手元の光に気が付いてふと携帯を開いてみれば、今しがた着信したメールが一件。この部屋は基本的にとても静かだから、僕はここに入ると何となく携帯の着信音をオフにしてしまう。未来機関の技術を結集させて作られたこの部屋の設備が電波干渉なんかでは狂わないことを知っていても、それは僕のけじめみたいなものでもあった。
もしかすると、単に鳴り響いた携帯電話のメロディが、この場の誰一人を起こさないことに切なさを覚えるのが怖いだけなのかもしれない。日向クンや、ソニアさんや、彼らが頑なに信じ続ける仲間の生還への希望を、僕の軽率さがすり減らしたりしてしまわないように。
眠ったままの彼らが目を覚ます可能性は現代の技術をもってしても二割から三割といったところだろうと、この間、霧切さんが僕と十神クンにはこっそりだけれど教えてくれた。本当は未来機関の技術を使えばもう少し可能性が上がるはずなのだけれど、未来機関が彼らを殺そうとしている以上、手助けは一切見込めない。
そもそも、彼らは未来機関の記録上では死んだことになっているのだ。日向クン達が目覚めたあの後、霧切さんには死因の捏造を、腐川さんには提出文書の作成を手伝ってもらって、未来機関には虚偽の報告をした。十神クンには未来機関に戻れなかった理由付けをしてもらって僕達の処分が最小限になるように努めたし、朝日奈さんと葉隠クンにももっともらしいオーバーリアクションで僕達の嘘の近況を触れ回ってもらったお陰で、僕達も随分と動きやすくなったと思う。

――本当は、そんな虚偽の報告をしたくはなかったけど。彼らを守るためにこんな方法しか取れない自分がたとえどんなにやるせなくても、そうするしか方法が無いのだから、仕方がない。

「ソニアさん。……ソニアさん?」

そうして受け取ったメールの内容を伝えようと、僕はソニアさんに呼びかける。連絡用の携帯は僕達未来機関のメンバーがそれぞれ一台ずつ持っているものとは別に、何とか本部から持ち出せたものを日向クンたちに一台だけ渡してあった。この文面を見る限り、今の時間はみんな一緒に居るんだろう。

「え?えっと、あの、……すみません。どうなさいましたのですか?」

はっとしたように僕を振り返るソニアさんは、瞳を瞬かせて完全に虚を突かれたといった感じだ。ああ、やっぱり彼女のあの笑顔は繕われたものだったんだなあ、と。ソニアさんの素直な反応を見ていると、そんなことが頭を過ぎる。

「……悪いことばかりを考えると、悪い方に行っちゃうから。あんまり思いつめちゃうのは良くないよ。少しでも辛くなったら、しっかり休んで。みんなもいつでも代わる言ってくれてるからさ。……ほら」

ね、と言って僕が携帯の画面をソニアさんに見せると、「……あの。はい、ありがとうございます、苗木さん」と言って。それから少し不思議そうに、僕の方を見て首を傾げた。

「あの……どうしてお分かりになられたのですか?わたくしが思いつめている、と……」

さっきも無難な返事をしたはずなのに、と語るその瞳は、本当に僕の言葉を不思議に思っているようだった。
理由はたぶん、たったひとつなんだろう。あの悲惨な学園生活を生きてしまったせいで、こんな僕でさえ、人の顔色を窺うことがとても上手くなったのだと思う。たぶん、悪い意味で彼女に少し近付いてしまったというだけのこと。「苗木君はどうかそのままでいてくださいね」と。そう笑ってくれた彼女の言葉通りに生きることは、どうやら出来なかったみたいだけれど。あんなに悲しいコロシアイの果てに、僕が少しでも誰かを救える力を残したのだとしたら、それはせめて喜んでおくべきところなんだろうと思う。

「……前にね。キミに似ている人が居たんだ。不安に負けそうな僕の傍でも、すごく綺麗に笑う人で……」
「わたくしに……?」
「うん。……って言っても、やっぱりソニアさんとは全然違うんだけど。何て言うのかな……ちゃんと自分の意志を持ってるところとか、誰の前でもちゃんと笑ってるとことか。そういうところがちょっとだけ、ソニアさんと似てるなって思うよ」

あの、ソニアさんはここにいるのに、わざわざこんなこと話しちゃって悪いんだけど。そう少し慌てて僕が言えば、「いいえ、いいんです。苗木さんのお知り合いでしたら、わたくしにとってもきっと大切な人のはずですから」とにっこりと笑ってくれた。

「その人が、いつも言っていた言葉があったんだ。あの頃はさ、僕はその意味があんまりよくわかってなくて……正直、なんて返せばいいのか困ったこともあったんだけど」

あの夜、あの笑顔の全てが本心ではないことを知ったけれど、それでもあのコロシアイ学園生活のたった数日間では、彼女のことはよく分からないままだった。

――そう、よく分からないまま、別れを迎えてしまったから。

だから、全部を思い出した日に、僕は泣いてしまったような気がする。小さな頃から憧れていた希望になれる喜びも、誰かを救おうとするひたむきな優しさも、全ての人に向けられている愛情も、全部全部、僕は彼女の言葉で聞いていたはずなのに。「ちょっとだけ、弱音を吐いてもいいですか?」と。申し訳無さそうに語られる、彼女が抱えていた重荷も、心に潜む葛藤も、泣きそうになりながら小さく笑う、僕達と何ひとつ変わらないその姿を、本当は何もかも、僕は知っていたはずなのに。
あの夜を後悔することは、それでもしたりはしなかったけれど。ただ少しだけやるせなさに囚われて、あのコロシアイが始まってから初めて、僕は後ろを振り返ってみたくなったんだ。

「……ソニアさん。過去を思い出したことを、キミは後悔してる?」
「え……?」
「えっと……僕も同じように学園生活の記憶を封じられてて、全部思い出したのはつい最近のことだからさ。最初はやっぱり戸惑ったし……だからその、後悔、してるのかなって……」

絶望していた頃の記憶がどんなものなのかは、僕にはやっぱり分からないけど。それでも家族を失った現実だとか、あの頃の僕達があんなにたくさん笑い合っていた真実だとか、そんなことが現実味を帯びてくるたびに、自分が壊れそうなくらいの苦しさを覚えたから。彼らも同じような戸惑いと戦っているのだとすれば、そこから前に進むための手助けをしてあげられたらいいなと思う。

「わたくしは……いいえ、後悔はしていません。自らの罪を認めずに、未来を掴みたいなどと口にすることはできないと思うんです。……それに、これから目覚めるみなさんのためにも、わたくしは一足お先に未来へ進まなければ、ですから」
「……うん、そっか。なら、良かった」

これから目覚める、のくだりにほんの少しだけ胸が痛むのを感じて、作り笑いになりかけた表情で僕は何とか笑ってみせる。誰かの想いを読み取ることも、自分の心を隠すことも、あれから随分上手くなった。こんな姿を彼女が見たら、きっと少しだけ悲しそうな顔をして、「それも苗木君らしいですね」と笑ってくれるんだろう。

「過去を大切にしてほしいと思うよ。……なんて、こんなこと、僕がどうこう言うものじゃないって分かってるんだけど……。でもさ、どんなに悲しい記憶が多くても、きっと悪いことばかりじゃなかったと思うから……」
「苗木さん……」
「たしかに、過去が無くても未来は創れるのかもしれない。けどさ、それまでにあったはずの幸せとか、辛かったことも……忘れちゃったら、何もかも無かったことになっちゃうでしょ?……キミ達の記憶は辛いことばかりかもしれないけど、できれば今までの時間と一緒に未来を作っていってほしいなって、僕はそう思うんだよ……」

やり直せる可能性を持っているのなら、どうか全てを持ったままでやり直せるといい。もう取り返しの付かない現実を引き起こしてしまった僕達とは違って、どんなに可能性が低くても、彼らにはまだ奇跡を願うことが許されているんだから。
そんなことを思っていると、目の前のソニアさんの表情がふとかげったことに気が付いた。たぶん、僕の言葉の含みを受け取ってくれてしまったんだろう。ばつが悪そうな顔をして、おろおろと、どうしたら良いかを計りかねているみたいだ。

「……僕はね、ソニアさん。キミ達がこうして生きて帰ってくれて、みんなが目覚める可能性を残してくれて、本当に良かったと思ってるんだ。……江ノ島さんを止められなかったのは、僕達の詰めが甘かったせいでもあるからさ」
「そんなこと……」
「ううん……本当のことだから。前のコロシアイ学園生活の時、僕達は江ノ島盾子を……超高校級の絶望を倒したと思い込んでいたんだ。僕の仲間の忘れ形見があんな形で利用されるなんて、少しも思ってなくて……」

アルターエゴという、僕の、僕達の、かけがえのない仲間が残してくれた希望に満ちたプログラム。カムクライズルの真実を知っていたならあるいは打つ手があったのかもしれないと、今になってみれば少しだけ思う。だけど、僕は霧切さんや十神クンのように頭が良いわけではないから。いざ目の前にしてしまったら、何も出来ずに彼の絶望を深めるだけだったのかもしれないなとも、思う。

「……本当に不思議です。どうしてお分かりになられたんですか?わたくしが、その……」

コロシアイ学園生活のことを気にしていること。直接口にはしなかったけれど、おそらくそう言いたいのだろう。ソニアさんはちょっと口ごもって、申し訳なさそうに僕の言葉を待っている。

――それは、ただちょっとしたことなんだろう。道端に咲いた花に気が付いて微笑みかけられるか、それとも気が付かずに通り過ぎてしまうかの些細な違い。彼女のように立ち止まって振り返るのか、あの頃の僕みたいに、ただ前だけを見て走り続けるしかなかったのか。たったそれだけの違いを知ることで、僕らは彼女の――舞園さやかの、魔法の言葉を使えるようになるんだ。弱さを隠すための、そしてとても尊い、誰かのためだけの優しい言葉を。

「そうだね。……エスパーだから、かな」

特別な想いでそう言えば、ソニアさんは「エスパー、ですか……?」ときょとんとした顔をして、僕に向かって瞬きをした。

「うん、エスパー。……みんなには内緒だよ?あんまり知られたくないんだ、このことはね」

そうして冗談めかして笑ってみれば、ソニアさんは「苗木さんは超能力者だったんですね……!すごいです、ジャパニーズミステリーです!」と、きらきらした瞳で僕に澄んだ眼差しをくれる。

――苗木君だけは、私の味方でいてください。そう言って泣きそうな顔をした彼女との、あの夜のことを思い出す。彼女が迷いの果てに残したたった五文字の暗号が、今また未来を紡ぐ命を救ったのだと。それを思うと、ああ、命は繋がっているんだなぁ、なんて、すごく漠然としたことを考えてしまう。霧切さんや十神クンには「甘い考え方に浸るな」なんて怒られてしまうかもしれないけれど。
きっと、こうして希望は繋がっていくんだろう。たとえそこに耐え切れないほどの絶望があって、それがどれほど深い闇の中を、絶えず彷徨っているのだとしても。
悲しい絶望の先に光を見つけて、たくさんの嘆きを乗り越えて、それでも僕達は進んでいく。それはたぶん、幸せを掴むためだけのものじゃなくて――きっと昨日の悲しみも、今日の痛みさえ、明日という未来にかき消してしまわないように。