目を覚ます、という表現が、私にとって正しいのかどうかは分からない。だけど今の感覚は、とても長い昼寝から目覚めたような、そんな感じにちょっと似てる。たとえば、お昼の二時に三十分だけ寝ようと思って横になったら、気がついたときにはもう夜の七時だったみたいな――。なのに目が覚めてみたら、よく寝た、ってスッキリするわけでもなくて、ぼんやりして自分の今いる場所があんまり現実的じゃなくなっちゃうような――。とにかくふわふわして、私が私じゃないみたいな、そんな不思議な感覚がする。

「……七海さん?」
「え……?」
「聞こえてるかな。ちゃんと、そこにいるよね…?」

プログラムが「懐かしい」なんて感じることがあるのかどうか、私にはよく分からない。分からないけれど、私を呼んだその声は、なんだかとても懐かしくてあたたかい、気がした。

「あなたは……?」

身体が無いから何も見えないけれど、近くに声だけが聞こえてる。――私は、この声をよく知ってる。私を作った人と、同じ人。ううん。正確には違うんだけど、でも、同じ人でもあって――。
私を日向くん達のところに送り込んだのは、たぶん、この人なんだと思う。今まで一度も会ったことがないから、記憶として与えられているデータを照合してみるくらいしか、今の私にはできないけど。

「はじめまして、七海さん。えっと……僕はこのプログラムのゲームマスターだよ。アルターエゴって言って、僕自身も自律型のプログラムなんだ」
「アルターエゴ……」
「AIのベースは超高校級のプログラマー、希望ヶ峰学園第七十八期生の不二咲千尋。えっと……あのね、僕はゲームマスターだから、七海さんのこともよく知ってるんだけど……」

七海さんは、僕のことを少しでも知ってるかな。そう私に尋ねるアルターエゴは、なんだかとても穏やかな雰囲気をしている気がする。

「えっと……不二咲千尋、って名前は分かるよ。私のお父さん……みたいな人だって、覚えてるから」

記憶の中の私の「お父さん」にそっくりなアルターエゴは、私の答えにちょっと困ったままで微笑んで、「そうだね。キミを作ったのは、僕のご主人様である不二咲千尋でもあるし……。それから苗木くんたちでもあって、日向くんたちでもあって……もっと言うと、このゲームプログラムそのものでもあるんだと思う。キミは、そうやってたくさんの人に望まれることで生まれたから、「感情を持つ」なんて奇跡を起こせたのかもしれないね」と、少し眺めの説明をたどたどしくしてくれた。

「あのね、私は、消えたんじゃなかったのかな?ウサミと一緒に、モノクマにお仕置きされたはずだと思ったんだけど……」
「……えっとね、……その。たしかに、その身体はすでに消えかけてるんだ。五回目の裁判でのモノクマのお仕置き……あれは、ロジックとしては七海さんを構成する領域を破壊するためのものだったから。……でも、これもちょっと不思議なんだけどね。モノクマのお仕置きは七海さんの領域を奪いきれずに、七海さんの居場所をほんの少しだけ残してしまったんだ。だから、その……今の七海さんは、消える順番を待つ、プログラムの残滓みたいなもの……って、言ったらいいのかな」

この世界に散らばった、ほんの少しの「七海千秋」が、寄り集まって形を成しているだけの不安定な存在。それでも本来は、「七海千秋」という存在は完全に潰されてしまうはずだったから。今こうして七海さんがここにいて、記憶を持っていること自体、奇跡と呼んでもいいくらいのことなんだよ、と。
うーん、プログラムに詳しい人って、みんなこうやって説明が長いのかなぁ。私の記憶の中の「お父さん」――不二咲千尋もね、プログラムのことになるとついつい長く喋りすぎちゃうことになってるみたいなんだ。アルターエゴは「お父さん」と同じだから、やっぱり仕方ないのかな。そんなことを考えていたら、アルターエゴが何かに気付いたように「あ」と声を上げた。

「どうしたの?」
「うん、えっと……苗木くんが無事にこのプログラムに入って来れたみたい。……良かった、間に合って。そろそろ、持たないかもしれないと思ってたから……」

ほっとしたような口調でアルターエゴは言って、屈託のない表情でにっこり笑った。――ような気がした。
苗木誠――その名前もね、私はちゃんと知ってる、と思うよ。たしか希望ヶ峰学園の第七十八期生で、才能は「超高校級の幸運」。前回のコロシアイ学園生活の生き残りで、江ノ島盾子を倒して――それから今、日向くん達のことを救おうとしている人。

「……七海さん。あのね。キミに、謝らなくちゃいけないことがあるんだけど……」
「え……?」

苗木くんがプログラム上で問題なく行動出来ているらしいことを確認すると、「あとの二人も、きっともうすぐ着くだろうから」と、アルターエゴが真剣な調子になったのが分かった。――何で見えもしないのに真剣になったのかどうかが分かったのか、って?それはね、えっと、たしかに姿は見えないんだけど、気合いの入れ方が私と一緒だなぁって。そう思ったから、何となくだけど分かったんだ。

「すごく、言いにくいことなんだけど……」

そう前置きしてから、アルターエゴは続ける。

「……こうして苗木くんがこのプログラムに介入して来ているのは、このゲームプログラムを強制的にシャットダウンさせてしまうためなんだ」
「強制的に、シャットダウン……?」
「うん。……強制シャットダウンはね、名前の通り、未保存の情報ごと破棄してプログラムを強制終了させる方法だよ。何もかもをキャンセルすることで、最悪の事態を免れるための最後の手段……」

だから、このまま苗木くんがプログラムを発動させれば、この島で起こったことは全部無かったことになってしまうんだ。申し訳なさそうにアルターエゴは言って、一瞬だけ言葉を切った。そのあとすぐに、思い直したみたいに話を進める。

「江ノ島盾子は、この場所からもう一度生まれようとしているんだよ。……だから、僕たちは、それを何としてでも止めないといけないんだけど……」

思いつめたみたいに話すアルターエゴは、まるでちゃんと感情を持った人間みたいで、私にはそれがとても不思議に思えてしまう。――ううん。アルターエゴがどうして苦しんでいるのかは、今の私にはちゃんと分かるよ。でもね、データでしかないはずのアルターエゴが、こんなふうにたくさんのことを考えるのがやっぱり不思議で――。そして、それはたぶん、私が今の私自身を不思議がっているせいなのかもしれないな、とも思うんだ。

「……そうしたら、日向くん達は絶望に戻っちゃうのかな」

アルターエゴの言葉を聞いて、ふと、そんなことが私の頭の片隅に過ぎる。強制シャットダウンをかけて、この島での出来事が何もなかったことになったら、そのとき日向くん達はどうなるんだろう。あんなに辛そうな顔をして乗り越えてきた毎日も、全部苦しい夢の中での出来事になって、なのに、みんなは眠ったまま目覚めなくて――。そうなったら、たぶんだけど、日向くん達はきっと悲しいんじゃないのかな。そんなことを漠然と思えば、ちょっとだけ胸が痛んだ。――痛んだんだと、思う。「胸が痛い」っていうのは、私には本当はよく分からないんだけど。

「それは……」

私がそんなことを言ったら、アルターエゴは困ったような顔と――それから思い悩んだような顔をして、私のことをじっと見つめた、のだと思う。視線を感じる気がするから、きっとそうなのだろう。

「このまま何の力も働かなければ……うん、それは七海さんの言うとおり、そうなんだけど……」

私に返事をするアルターエゴの言葉は何だかとても歯切れが悪い感じがして、理由が分からないから、私はそのまま黙っている。それからほんの少しだけ、無言の時間が続いて――。アルターエゴは、ちょっと強い口調でこう言った。

「うん、でも……決めた。……あのね。お願いがあるんだ、七海さん」
「え……?」
「その……、えっと……。キミは、強制シャットダウンの理に逆らってほしいんだ。……ごめんね。これはとても、残酷なお願いをしていることになるんだけど……」
「強制シャットダウンに逆らう……?」

アルターエゴの言っている意味が分からなかったから、私は気持ちだけで首を傾げて「どういうこと?」と尋ねてみる。
そういえば、こうして首を傾げて何かを聞くのは、不二咲千尋の――「お父さん」の癖だったんだってことを覚えてる。やっぱり、私は「不二咲千尋」に似ているのかな。それを考えると、何故だかちょっとだけ、ほっとするような気持ちになった。

「あのね、実は……今のキミ……「七海千秋」という存在は、「未来機関」という制約に囚われていないんだ」
「制約……?」
「モノクマのお仕置きのときに、七海さんに掛かっていた未来機関に関する情報のロックを一緒に外されちゃって……。えっと、あの、それって僕のプログラムの脆弱性でもあるわけだから、あんまり大きい声で言うのも恥ずかしいんだけど……。でもとにかく、今の七海さんは、未来機関に従う必要性はなくなってるんだ」

いわゆる「NGワード」は、ひとつも適用されていないはずだよ。そう言って、アルターエゴは続ける。

「強制シャットダウンをするしかなくなってしまった今となっては、むしろそれは都合が良くて……。って言うのもね、七海さんは今、理論上は僕よりも自由に動ける可能性を持っているはずなんだ」
「え?でも……」
「あ、もちろん、僕が与えた権限の範囲内での話ではあるんだけど……。本当はね、七海さんの「制約」は、ゲームマスターである僕にも解けないものだったはずなんだ。うーんと……簡単に言えば、このゲームには最初から「七海千秋」と「ウサミ」っていうキャラクターが完成したものとして与えられていて、僕にはキミたちに干渉する権限はなかった、て言ったらいいのかな……」

つまり、ゲームマスター自身にも、私たちを操作できないように「制約」が掛けられていたんだって。そんなふうなことを説明して、アルターエゴは深呼吸をする。

「うーん……それって、仲間になる前のNPCみたいなものかな?一緒に戦ってくれるんだけど、プレイヤーには指示が出せない存在みたいな……」
「うん、そう思ってくれると分かりやすいかもしれないよ。えっと、それで……。その「制約」のせいで七海さんは今まで僕の制御の範囲外だったから、どうにかしようと思ってもどうにも出来なかったんだけど……今なら、たぶん指示が出せると思うんだ」
「そうなの?」
「七海さんに掛かっていた外部干渉を遮断するためのプロテクトが全部外れているから、大丈夫だと思う。……逆にね、モノクマの妨害のせいで僕は今、島のかなりの領域に対しての変更権限を奪われている状態なんだ。今機能している指示系統は、このプログラムに参加している生徒に対しての島の各施設への立ち入り許可と……それから、生徒が島に干渉できる権限の付与。それに、ゲームマスターの権限の一部譲渡の三つだけ」
「うーんと……。つまり、こういうことかな?本来のゲームマスターであるあなたは、モノクマの妨害のせいで島の状態を直接変更することができない。今できることは、私を含めたプログラムの参加者に島を自由に動き回る権利を与えて、島の状態を変えることを許可する、っていうことと……それから、あなたが今持っている権利を誰かに譲ってしまうこと。その二つだけ」
「あ、うん。説明が複雑になっちゃったけど、要するにそういうことなんだ。ふふ、七海さんはさすがだね。今のは、あんまり上手い説明じゃないかな、って思ってたんだけど……」

そこは「超高校級のゲーマー」だもん、クリア条件はしっかり確認しておかなきゃね。私はアルターエゴの言葉にそんなことを思ってから、ある重大なことに気付く。いくら私を自由に動かせるようになったとしても、このままじゃ――。

「だけど、私はもう姿がないよ?それどころか、このままだともうすぐ……」

消えてしまう、と、さっきアルターエゴはそう言っていたはずだから。それをどうするつもりなんだろうと、私は疑問でいっぱいになったままで返事を待つ。そうしたら、彼はほんのちょっとだけ時間を置いて――真っ直ぐな意志を向けたまま、確かな言葉を私にくれた。

「……よく聞いて。キミが消えてしまう前に、キミに僕に残された「領域」をあげる。それで「七海千秋」を取り戻して。……そして、強制シャットダウンに逆らってほしい」
「え……?」
「……あのね、実は僕に残された時間は、もうあまり残っていないはずなんだ。このままだと「ゲームマスター」として確保されている僕の「領域」はモノクマに内側から食い荒らされて、僕は完全に消えてしまうと思う。……だから、その前に七海さんに「領域を渡す」ことを除いた「ゲームマスターの権限」を全て渡すよ。上手く渡せたら、その時点で僕に残っている最後の権限で、キミに僕の「領域」――僕が使っていた僕の居場所をあげる。それでも、長くは持たないかもしれないけど……」
「でも、あなたの領域はモノクマに侵食されているんだよね?それなら、私があなたの領域をもらっても……」
「ううん、大丈夫。僕の中に残っている、まだ無事な「領域」だけを切り離して、「七海千秋」のものにしてしまえば、モノクマには干渉できないはずだから……」

僕が消えてしまうことは変えられないけど、七海さんが消えてしまうことも変えられないけど、それでも少しだけ、それを先延ばしにすることはできるから。アルターエゴは私にそんなことを言って、悲しそうな声で言葉を続ける。

「……全部が上手くいったら、やってほしいことがひとつあるんだ。でもね、これは苗木くんにも何も相談していないことで……僕がこの世界でキミたちの姿を見て、人工知能として一緒に学んで、それで、願っただけのことだから……。すごく勝手なお願いなんだけど、聞いてくれるかな……?」
「えっと……うん。なあに……?」

私に向けられたアルターエゴの言葉がすごく優しい響きをしていたから、気付けば私は頷いていた。うん、きっとやり遂げられるよ。それがどんなことであっても、たとえその先で私が消えてしまうとしても――。それはね、ずっと覚悟していたことだから。

「……ありがとう。それじゃあ、簡単に説明させてもらうね」
「うん、……大丈夫だから、話を聞かせて……?」
「ええとね……さっきも説明したとおり、強制シャットダウンを掛けてしまえば、そのまま全ての情報がキャンセルされて、この島での出来事は無かったことになってしまうんだけど……。このプログラムの大元の設計者であるご主人様――不二咲千尋は、このプログラムに緊急時の抜け道を残しているんだ」
「抜け道……?」
「うん。コンピューターの再セットアップや復元のためにデータの退避場所を作っておくのと同じように、このプログラムにも、予めデータの格納場所が用意されているんだよ。……ただね、今はモノクマに圧迫されて上手く回らなくなった処理をそっちのメモリを使って行っている状態だから、退避できるデータ量がかなり限られちゃってて……」

バックアップ機能は、本当にちょっとだけしか使えないんだ、と。アルターエゴが話すのを聞いていたら、なんとなく、彼の言いたいことが分かったような気がしたんだ。たぶん、私のやるべきことは――。

「……七海さん。残酷なことばかりで、本当にごめんなさい。……一人だけを、選べる?」
「……記憶を、残すんだね?島での記憶……やっぱり誰か一人分しか、残せないのかな」
「ごめんね。……このプログラムは現実感を追及しているせいで、記憶データのファイルサイズがすごく大きくて……。今の状態では、どう頑張っても一人分を確保するのが限界なんだ。それでも、少しの欠落は出るかもしれないし……」

だけど、これから彼らが現実に戻って生きていくために、一人はここでの記憶を持っている人が居なければ、きっと絶望を繰り返してしまうから。苦しそうにアルターエゴは言って、「誰か一人……選べないことは、分かってるけど……」と、私に答えを促している。
島に来た瞬間から、一緒に過ごし続けてきた仲間たち。五人残っているみんなの中で、誰を選ぶかなんて、決められないに決まっているけど。それでも、迷っている時間はないって分かってる。それなら、ひとつだけ。たったひとつだけ、私の中にあるものを信じるよ。

――私はね、未来を創りにこの島へ来たんだ。みんなの未来を信じて、見守り続けた時間があって。最初はね、それは「義務」でしかなかったはずなんだけど。気がついたら、私は心から、私の意思で、みんなの未来を信じたくなっていたんだよ。その気持ちをくれたのは、私に手を差し伸べて、私を一人の人間として、ずっと接してきてくれた人。
――あの人なら、きっとみんなの未来を創っていってくれるから。

「……日向くんの記憶を、未来に。きっと、それがみんなを救ってくれると思う」

今あの場所で起こっている江ノ島盾子との最後の戦いも、日向くん自身の絶望との戦いも、きっと乗り越えられるって信じてる。もしもね、このまま日向くんが負けそうになったなら、たった一言伝えてあげればいいだけなんだ。「あなたは現実に帰って、未来を創って行くんでしょ?」って。だって、日向くんは、強い人だから。強くなったから。それだけで、きっと未来に進んで行ってくれると思うんだ。

「奇跡は、きっと起きる気がするの。私がここで消えてしまっても……私がここで生きていたことは、ちゃんと未来に繋がっていくように」

そして、それは人工知能でしかない彼も同じ。ここで生きた証は、きっと誰かが繋いでくれる。だってね、私が知らない私の大事な「お父さん」がいなければ、私はここにはいなくて、アルターエゴもここにはいなくて――きっと、日向くんたちは絶望のまま現実を過ごして。
ずっと、そうやって繋がってきたんだって知ってるから。だから、大丈夫。ほんの小さなきっかけで、未来に命が繋がっていくこと。それ自体が、奇跡みたいなものなんだって、私はもう、ちゃんと分かってここにいるから。

「うん、わかった。……それじゃあ、まずはキミに「権限」を移すね」

私の答えが変わらないことを分かってくれたのかな。アルターエゴは特に確認をすることもないままで、私に一通りの「権限」を移してくれた。その作業自体は思ったよりもあっけなかったんだけど、でも、確かにいろいろなことが出来るようになった実感はあるし――。うん、上手くは言えないんだけど、「何をどうすればいいかが分かる」ようにはなった気がする。

「……どうかな?」
「たぶん、大丈夫だと思う……。記憶のデータをどこにしまえばいいかも、どうやってそうすればいいかも、ちゃんと分かるよ」
「うん、それならよかった。……それじゃあ、今度は僕の「領域」をキミに渡すね。そうしたら、こんどこそ僕はあまり持たないとは思うけど……」
「あ、待って……。それじゃあ、私があなたに「領域」をもらったら、あなたは私みたいになっちゃうの……?」

そうなったら、会えなくなってしまうから。たとえ本物じゃなくても、私が一度も会ったことのない「お父さん」に、会えるかもしれなかったから。それが叶わないなら、少し心残りかもしれない、って。今はちょっとだけ、思う。

「……ううん、大丈夫。七海さんがその姿になっているのは、キミを構成する「領域」が粉々に壊されているからで、僕は連続した領域を極限まで切り詰めるだけだから……。ほんの少しくらいは、姿を保っていられるよ……」
「本当……?……うん。そっか、よかった」

そうして、アルターエゴは私に――「七海千秋」に「領域」を渡すプログラムを作動させた。途端に、私が私であるかのような――長い眠りからすんなりと目が覚めたような――そんな、不思議な感覚になる。
次に気がついた時には、目の前にはプログラムの世界が広がっていて――。それから、記憶の中でとても見慣れた、私が誰よりも知らない、そして、誰よりも知っている、大事な大事な「お父さん」の姿。

「あなたが、アルターエゴなんだね?」
「改めて、はじめまして、七海千秋さん。……えっと、今までキミと話していた僕はこんな感じで……僕や七海さんを作った「不二咲千尋」も、こんな姿をしているんだよ」
「……うん。私の記憶の中の不二咲千尋と、変わらないね……」

そう言葉にした通り、何もかもが「同じ」だった。私の記憶に残っている「不二咲千尋」の声や、姿や、仕草や、何もかもが、アルターエゴの「不二咲千尋」と一致しているんだ。
ああ、私が覚えている、私の知らない「不二咲千尋」は、ちゃんと嘘なんかじゃなく「不二咲千尋」で――。それで、ちゃんと私の「お父さん」だったんだ。私は「家族」を知らないけれど、「家族」への愛情も知らないけれど、でも、「家族」に感じる想いって、もしかしたらこんな感じなのかもしれない。

「……もう時間が無いから、最後にひとつだけ。これは、僕じゃなくて……不二咲千尋から、七海千秋さんへ」
「え……?」
「って言っても、僕自身が「不二咲千尋」の思考をシミュレートして、彼になりきって、キミへ贈る言葉なんだけど。……ごめんね。僕は人工知能でしかなくて、本物には、やっぱりなれないけど……」
「ううん。……ううん、いいんだよ……」

そうして小さく首を振ってみれば、そこでまたふと「不二咲千尋」の記憶を思い出す。誰かを安心させようと笑うとき、彼は今の私みたいに、「大丈夫だよ」と言って、左右に小さく首を振る。――本当に、一緒なんだね。そんなことを思ってから、私はアルターエゴの――「お父さん」の、最後の言葉に耳を傾ける。

「……ごめんね、最後まで、こんなことばかりさせちゃって……。僕がしっかりしていれば、千秋ちゃんにこんな思いをさせることだってなかったんだと思う。でもね……そう思いながらも、最後にキミに会えたことが、僕はすごく嬉しいなって思っちゃうんだ。千秋ちゃんが、千秋ちゃん自身の意思を持って、僕と話してくれる日が来るなんて思ってなかったから……。へへ、ちょっと不思議な気分だよね?僕の作ったプログラムが、僕の予想のつかない言葉を返してくれるなんてさ……」
「……お父、さん」
「エヘヘ……そう呼ばれるのは、やっぱりちょっとくすぐったいかな?……うん、でも、ありがとう。僕はね、キミを作って良かったって思う。……キミが居てくれて、千秋ちゃんがここに居てくれて、それがすっごく嬉しくて……。本当に、良かったなって思うんだ。……だから、ありがとう。必ず、キミの未来は繋がるはずだよ。僕がこうしてキミに出会えたことが、きっとその証拠になるから……。……なんて、キミは賢いから、きっと気づいてるかもしれないよね……」
「うん。……うん……」
「それじゃあ、気をつけて。僕は、一足先にこのプログラムから消えてしまうけど……。でも、日向くんや、苗木くんや、……そして、千秋ちゃんのことを、ずっと見守ってるから。……さよなら、千秋ちゃん。あとのことは、よろしくね……」

そうして、最後ににっこりと、これ以上ないくらいの優しい笑い方をして、私のお父さんは姿を消した。最後にお父さんの言葉を伝えてくれたアルターエゴも、そのまま一緒に消えてしまう。後に残ったのは、今までには覚えのない、胸が締め付けられるような切なさと。それから、私には流れるはずのない、冷たい、冷たい涙が少し。

「大丈夫、だよ……」

お父さんにもらった命も、苗木さん達にもらった時間も、日向くん達にもらった想いも、私が信じた明日への未来も。全部、全部抱えていって、全部、全部ちゃんと託すよ。私が消えてしまっても、なにも、なにも消えないように。いつか誰かが全てを繋いで、そこに優しい未来を創っていってくれることを願うよ。
絶望なんかに負けないだとか、希望はいつもそこにあるとか。私が導いていくものはきっと、そういう、掴みきれないくらいに大きなものじゃなくってね。私が信じるように創られたものは、そして、今は自分で信じているものは、ほんのちょっとの繋がりで導き出せる、些細な奇跡が生み出す「未来」だから。

「……行ってきます、お父さん」

だから大丈夫。きっと、私は未来へのバトンをここで渡して――途切れないように、ちゃんと繋いでそこへ行くから。