どうしてすぐにそんな顔をするんだよ。そう言って苛立ちを露にする日向に、苗木は少し困ったような顔をして、「……ごめん。それでも、キミのことが心配だって思うから……」と懺悔するような言葉を投げる。対する日向は苛立った様子を隠しもせずに、その言葉を突き返すように苗木を睨んだ。

「そうやって何もかも分かったみたいな顔してるけどな、お前に俺の何が分かるって言うんだよ?知らない間に絶望してたなんて言われて、俺の知らない俺が何人も他人を殺して、それどころか俺自身も消えるかもしれなかったっていうのに……!……それがそう簡単に割り切れるかよ。お前は簡単に希望を持てとか言うけどさ。そんなの、無理に決まってるだろ」

自嘲を交えて日向は苗木に声を荒げて、睨むような瞳で苗木を見やる。
――こいつの言葉はいつだって軽々しく感じられて仕方がない。希望を忘れなければいつか道は開けるだとか、未来は必ずやって来るものだとか。過去を背負うことは簡単じゃないって分かってる、だなんてこいつは前に言ったけど。本当にそう思ってるんならさ、こんなふうに直接的な言葉ばかりを口にするわけがないだろ。他人を急かすようなことばかり並べ立てて、「大丈夫だよ」だなんて根拠のないことを、わざわざ言うはずが無いんだ。

「……そういうふうに受け取らせるような言い方をしていたならごめん。でも、決してそういうつもりで言っているんじゃないんだよ。ボクはただキミには前を向いていてほしいと思って……」

ばつが悪そうに語る苗木は、敵意を向けられたままの日向にそっと視線を合わせる。
――きっと、誰かが言葉にしていなければ、すぐにでも折れてしまいそうな絶望を日向クンは抱えたままだから。だから、たとえ「希望」や「未来」だなんていう言葉がいくら見え透いたものだったとしても、キミにとってこれはきっと必要な言霊なんだろう、と。どんなに日向クンがそれを拒もうと、こうしてボクに敵意を向けようと、何も言わなければそれはそれで、キミは自戒し続けて壊れてしまうと思うから。誰もキミに手を差し伸べようとしない、キミにとって悪意だらけの悲しい世界で、ボクの言葉が少しでもキミに伝わればいいのにって、ボクはいつもそう思っているんだけれど。

「ボクが希望や未来を語るのは、キミに重荷を背負わせようとしてそうしているわけじゃないんだ。……何ていうのかな。ごめんね。上手く、伝えられないんだけど……」

少しでも分かりやすい言葉をキミに渡していなければ、キミが立ち上がれなくなってしまいそうで怖いんだ、なんて。そんなことを伝えてしまったら、それこそもう二度と口を利いてくれなくなるほど怒り出してしまうことも分かっているけど。苗木がそんなことを思って日向に言えば、日向はそれに苛立ちを隠さないままで、「お前の考えてることなんか分かるかよ」とぴしゃりと返す。

「突然コロシアイ学園生活の生き残りだなんて言って俺達の目の前に現れて、こうして強制シャットダウンの後も偉そうに取り仕切ってるけどさ……。結局、お前達が俺達をプログラムに掛けさえしなければ、あんなことにはならなかったはずだろ?確かに俺達は絶望したままかもしれなかったけど、少なくとも死ぬことは無かった。……それを棚に上げて、何が希望だよ。お前にそんなことを語る資格があるとでも言うつもりか?」

日向は言って、自身の中に渦巻く真実から目を背けようと苗木に敵意をぶつけ続ける。確かに苗木達があのプログラムを計画し、日向達十五人を救いたいと願い、結局何人もの生徒を助けられずに死なせてしまったことは事実だ。けれどそれすらカムクライズルの計略によるものだったのだという事実から、日向はひたすらに目を逸らす。
――だって、受け入れたくなかった。受け入れられなかった。今なお目を覚まさずに仲間達が死んだように眠っている、この状況を生み出したのが自分自身だと認めてしまったら、今度こそ、立ち上がれなくなってしまう気がしたから。

「……誰かが死ぬのを見ているのは、辛いよね。……昨日笑って話していたはずの誰かが、今日になったら突然ボクの隣からいなくなってて……」

そのことはさ、ボクにも分かるつもりでいるよ。そう言って切なげに笑う苗木に、日向はなおも苛立ちを募らせ続けて言葉を返す。

「そうは言っても、別にお前自身が誰かを死なせたってわけじゃないだろ。……誰も殺してない!ただ周りのやつらが勝手に殺し合って、お前はその中で生き残っただけじゃないか!」
「え……?」
「そんなんで俺のことを分かってるみたいなことを言うなよな……。俺なんて、自分のせいであいつらが死んだんだ、なんて言われてるんだぞ?そんなの、おかしいだろ……。だって、俺はそれをあの時まで知らなかったんだ。なのに、こうして目が覚めたらあいつらはちゃんとあの機械の中で眠ってる。生きてるのか、死んでるのかも分からないままそこにいて……」

怯えと戸惑いを取り混ぜたような表情で、日向は絶望に囚われたふうに青ざめたままで小さく首を振る。罪を犯した過ちを償いきれないことが恐ろしい。その重みを受け止められない。だって、ただ事実だけがそこにある。声も無く。ただ、死人のような姿だけがそこにある。

「……っ」

そんな日向の言葉にひどく傷ついたような顔をして、苗木は何も返せぬままで日向を見やった。日向への哀れみに混じって救われないほどの悲しみを覚えて――それから、珍しく、もっともらしい怒りを覚える。たぶん、これは怒りなのだろうと。そんなことすら上手く自覚出来ないほどに、普段から、誰かに怒りを覚えることなんて滅多にありはしないのだけれど。

「誰かを、……失うことの、本当の怖さがキミには分かる?」
「え……?」
「ううん、こういう言い方は違うかな……。ボクは、こうして全部を思い出したことを辛いとは、思わないけど……。それでも本当の意味で誰かを失ってしまったんだっていうことを、……全部を思い出した日にね、ボクは改めて気付かされたんだ。何であの時引き止める言葉を掛けられなかったんだろう、ボクがもっと誰かの変化に気付けるような人間だったら良かったのになって、そう、何度も思って……」

抗えないほどの無力感に苛まれて、前を向いて行かなければならないことは知っていたけれど、ほんの一瞬だけ、振り返って立ち止まって泣いた。本当の意味で全てを受け入れたのは、たぶん、あの日だったのかもしれない。苗木はぽつりとそんなことを語ってみせて、まだ揺らいだふうを隠せないまま日向のことを真っ直ぐ見据える。

「けど、お前の仲間が死んだのは別にお前のせいじゃないだろ……?お前が後悔したところでどうにもならないし、後悔する必要だって……」
「……仲間だったからだよ!ボクにとって、彼らは他人なんかじゃなかったから……!大事な、人達だったんだ。毎日、ホントにくだらない話ばかりして……。でも、幸せだったんだよ。確かにさ、なんてことない毎日だったかも、しれないけど……」

彼らの死がボクのせいだとか、実際はそうじゃないとか、そんなことはどうだって構わなくて。そう切々としたふうに語る苗木の言葉は悔しさと悲しみに少しの怒りを交えて揺れて、二人きりの部屋にただただ響く。

「……誤解されてしまうといけないから、先に言っておくね。……ボクは別に、彼女のことを恨んだりはしてないんだ。彼女はきっと絶望だからこそ、ああすることでしか生きて行くことが出来なくて……。だから、ボクが言いたいのは、別にそういうことでもなくってさ」

壊れそうなほどに儚げなふうに微笑んで、苗木は日向へそんなことを口にする。

「アイツを恨んでないだって……?だって、お前達が殺し合ったのは江ノ島盾子のせいなんだろ?俺達が絶望に堕ちたのも、全部アイツが仕組んだことで……」
「……そうだね。そうかもしれない。だけど、あの悲劇は全部、ボク達が行動したことで現実になってしまったことだから……。本当は彼女はそれを否定してほしかったのかもしれないって、……そう思うのも、ボクの勝手な想像でしかないんだけど」

それでも彼女が――江ノ島盾子がああも遠回りなやり方をしようとしたのは、絶望が溢れかえったあんな世界で、ボク達がただ最後まで、絶望することを拒んだからだ。絶望なんて跳ね除けてみせると、そんなものには屈さないと、誓い合ったあの日の記憶を、決して忘れることは無いだろうと思っていた。苗木はいつかの夜を思い返して、少しのやりきれなさに歯噛みする。
――記憶の後ろ盾を失ってしまっただけで、結局命を奪い合って、その事実を恐怖と疑問ばかりで片付ける光景に、彼女は絶望したのだろう。そしてきっと、ひどく失望していたんだろうと思う。

「……みんなが、死んだ瞬間はさ。ボクにとって、彼らは他人でしかなかったんだ。あの日のボクは、誰かの死に混乱して、少しでもこんな悲劇が起きないようにって、走り続けるのに精一杯で……」

誰かが死んでしまったって、それを弔う時間も無かった。今まであった多くのことを、思い出してあげることさえ出来なかった。苗木が語れば、日向はまだ少し理解出来ないふうをして、苗木の言葉を受け止めきれないまま黙り込む。
大切なものを奪われたのなら、それを招いた誰かを恨んでしかるべきだろう。そうする権利はあるはずだし、自分の全てを奪った人間のことを赦すだなんて、それこそ逆に狂気の沙汰だ。そうとしか思えないものだから、どうしても理解が出来ないままで、なおも苗木へ苛立ちは募る。

「みんなが殺し合うのを見ているのが辛かった、って?はは……何だよ、それ。何も背負ってもいないお前が、勝手に傷ついたみたいなこと言うなよな。何もしてないヤツがそんなふうに傷ついたりして、何になるって言うんだよ?そんなの、お前の自己満足にしか過ぎないものだろ……?」

口をついて飛び出す言葉に自己嫌悪を抱きながらも、あふれ出す激情を留められずに、日向は苗木へ強い言葉を投げ掛け続ける。こんなことはただの八つ当たりに過ぎない。そう分かっていても、目の前の罪に染まらない瞳がただ疎ましくてたまらない。

「……っ」

そんな日向の言葉に揺れる感情を抑えられなくなりそうになって、苗木は小さく拳を握り締める。
――分かってる。誰も目覚めない現実に打ちのめされて、不安定な心のままだから、こうしてこんな言葉を投げ掛け続けるのだろうということは。それでも、この言葉に本心が含まれていることさえ分かってしまう。全てが勢いだけのものなら冷静に対処も出来た。だけど、それだけではないと気付いてしまったら。

「……ごめん。もしかすると、とても、酷いことを、言うかもしれないけど……」

衝動を諌めてそれだけを何とか口にして、苗木はきりきりと痛む心に立ち向かう。
――たとえ何を言われても、絶望することなんて出来ないけど。それでもこのまま立ち尽くしていたら、大切なものまで奪われてしまう気がしたから。キミが、それを当然のことのようにしてしまいそうだから。

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