狛枝が手を伸ばすと、日向は「いいんだな?」とだけ言って、その場に狛枝の身体を押し倒す。なるべく乱暴にならないようにと加減をしてみた甲斐あって、日向と比べてやや華奢にも思える身体はふわりとベッドに沈んだ。
「……あんまり優しくしなくてもいいよ?」
予想に反して触れられた手のひらが温かかったものだから、狛枝は少し困ったような顔をして、そんな言葉を小さくこぼした。これはボクが出来る贖罪なんだ、と。そう思っていなければ、押し寄せる幸せに浸ってしまいそうで怖かった。狛枝が言えば、日向は「何言ってんだよ」と余裕が無いまま呆れて返して、反論を塞ぐように唇を奪う。
「っ、……」
やや濡れたままのそれを重ね合わせれば、擦れ合う感触がいやに柔らかくて、それだけで溶けて痺れるような心地がした。そのまま両極の形をなぞるように日向がゆっくりと舌を這わせれば、びくり、と少し震えて、狛枝はどこか不安そうな面持ちで日向を見上げる。
「日向く……」
一瞬解放されたタイミングで狛枝は日向の名前を呼ぼうとして、すぐに空気を奪われ言葉を失くす。有無を言わせず日向が舌を侵入させると、先ほどの名残だろうか、ほろ苦いチョコレートの味がした。
熱に浮かされているせいなのか、それほど躊躇いを覚えることも無く、日向はそのまま狛枝の口内を蹂躙していく。歯列をなぞり、舌先を追い掛けるとやや抵抗気味に逃げ惑われたものだから、苛立ち混じりにそのまま追い詰める。少し強めに片腕を押さえつけたままで強引に舌を絡めてやると、狛枝は諦めたように潤んだ翡翠の瞳を閉じた。
「――っ」
コテージには言葉も無く、小さな音だけが響き渡っている。瞳を閉じれば白昼さえも暗がりに沈み、否が応でも与えられる感覚だけを意識させられる。時折息継ぎを繰り返しながら、行為に浸りきるかのように貪欲に日向が追い縋れば、狛枝は時折躊躇いがちにそれに応えて、もたらされる快楽に入れ込みすぎないようにと戒めるように身体を強張らせた。
「もうちょい、力抜けって。……怖いか?」
「……ん、……ううん……?うん。どうなのかな?怖いのは、怖いのかもね……」
でもたぶんボクが言ってるのは、日向クンが言ってる怖いとは、ちょっと違うと思うよ。そんなことを切れ切れに伝えれば、日向は黙ったまま狛枝に触れるだけのくちづけを落として、頬に手を添えて指先を下へ、下へと滑らせていく。できるだけゆっくりと。執着を見せ付けるかのように、執拗に。
「別に、俺がしたいって言ってるだけなんだから、それについてお前があれこれ思う必要は無いだろ」
大体、拒絶することだって選択肢としてあったんだからな。一応は。言った日向の手のひらが首筋を掴むように触れてやると、狛枝は一際目立って身悶えて、潤んだ瞳を日向に向けた。
「や、……っ」
通りがかったそこが琴線に触れたのか、狛枝は荒く吐息して、懇願のようにいやいや、と首を振る。弱い部分を探り当てるように日向が何度かそろそろと撫で回せば、抵抗もできずにぎゅっと瞳を閉じるだけだ。
「っ、……やめ……っ」
「……なんか、猫みたいだな」
そう言って日向はやや嗜虐気味な眼差しで笑んで、喉元をさすったり、指先を這わせたり、立ち止まってしばし反応を愉しんだ。大概何をしても快楽に表情を歪めていたけれど、首筋に強く手のひらを押し当てるとひどく恍惚とした表情を見せるものだから、もう少し余計に押さえてみたい衝動に襲われて、逡巡する。
「日向クン……?」
結局、名前を呼ぶのに合わせてやや力を込めると、狛枝は「ん、苦しいよ……」と口にしながら、どこか満たされたような様子で深く息を吐き出した。
「ったく、どういう基準なんだか……」
お前の感覚はよく分からない、とでも言いたげに日向が狛枝に呟けば、「ん、なんかさ……」と狛枝は恍惚に身を任せたままで日向に答える。
「ああ、今この瞬間は日向クンがボクの命を握ってるんだなぁって、そう思ったら……」
何て言うんだろう。上手く言葉に出来ないんだけど。そう余裕無げに少し笑って、狛枝は日向の首筋に手で触れる。
「……ほら。こうされてると、ちょっと危ない感じがしない……?」
すぐにでも殺されてしまいそうな感覚というか。自分の命を愛しい人に託しているという行為そのものが、狛枝としてはたまらなく扇情的で、狂おしいほどの快楽だった。
「どうかな。どっちにしたって、こうやって俺の首に手を掛けたところで、お前は俺を殺さないだろ」
それが分かってるのに、あんまり危ないも危なくないもないような気がするけどな。日向は当然のように呟いて、狛枝のコートを脱がしてやった。下のシャツも併せて取り払ってしまえば、白々とした上半身が露になる。日ごろの印象よりは随分しっかりとした体つきをしていて、「これなら意外と運動が得意ってのも頷けるな」だなんて場違いなことを思ってみれば、狛枝はやや身体を強張らせて、次の刺激を待ちわびながら、ほんの少しの警戒をする。
「……お前がそう思うのはさ、俺なら間違ってお前を殺すかもしれないって思ってるからか?」
「え……?ううん、そうじゃないよ。だって、日向クンがそんなことするわけないじゃない。……大体、こんな平和な島でそんな物騒なことをする理由がないし……」
――ただ単に、好意を抱いている相手に一方的に支配されるあの感覚がひどく心地良いというだけのことで。それを「変わっている」というのなら、まあ、たぶんそうなんだろう。けれど、ひどく安心するのは事実だ。ボクのために「与えられている」んじゃなくて、ボクが相手の勝手で「支配されている」だけなら、それが愛情じゃなければ、きっとボクの「幸運」が相手に不幸をもたらさずに済むのだと思えるから。
そんなことを考えている間にも日向は狛枝に愛撫を重ね、狛枝もそれに応え、着実に互いの官能を高めていく。やがてささやかな刺激に焦れたのか、狛枝は白い肌をほんのりと紅色に染めたまま、手を触れずにいた日向の雄の部分を露出させた。
「……舐めていい?」
あまりにきょとん、とした表情で狛枝は問い掛けるものだから、日向はやや照れたように「んなことストレートに聞くなよ……」と狛枝から視線を逸らす。
「ん……、だって、ボクみたいなクズが許可も無くこんなことするなんて、やっぱり嫌かなって……」
そんなことを言ってから、狛枝は日向の勃ち上がったそれをいくらか手のひらで刺激して、そっと口に含んで舌を這わせる。歯を立てず、絶妙な強弱を付けて繰り返されるその律動は、予想していたよりも遥かに激しい快感を日向に与えた。
「っ、う……ぁっ」
その場から崩れ落ちることを耐えるかのように、日向はベッドに手を付いたままの狛枝の頭を軽く押さえる。そのまま見下ろせば、自身の雄を慰める狛枝に言いようのない支配感を覚えて、ひどく満たされるような心地がした。
奉仕することにさえ恍惚を覚えているのか、狛枝は時折視線だけを上げ、快楽に歪む日向を愛おしそうに見つめた後、色欲に染められた瞳を瞬かせる。音を立てて吸い上げれば締め切った部屋にはそれだけが反響して、自分達の行為をまざまざと知らしめられるような羞恥をもたらした。
「ね、周りのコテージって、……誰か、いるの……?」
荒い呼吸で狛枝が問い掛ければ、日向は余裕無げに首を振って、「いいや」とだけ答えてやる。今日は休日だ。基本的に休日はいつもほとんどの生徒が他所へ出払ってしまっているし、ウサミも「お出掛け」を執拗に推奨するものだから、こんな日にコテージに残っている生徒というのはほとんどいない。
「ん、そう……?」
なら良かった、とでも言いたげな顔をして、狛枝が今一度日向のソレに口元を寄せれば、そこで日向の制止を受ける。
「いい。これ以上されると、もう……」
耐えられないから、と。そこまでは言い切れずに、日向は視線だけで訴えた。これ以上刺激されてしまえば、そこで一方的に終わりを迎えてしまう。それはさすがに無礼もいいところだろう。思いつつ、日向は苦しそうな表情で狛枝を見やる。
「え……駄目なの?」
そんな日向に真っ赤な頬のままでいかにも不思議そうな顔をして、狛枝はこくん、と小首を傾げる。仮にも自分だって男なのだから、絶頂の瞬間を先延ばしにする苦痛は分かるつもりだ。それをあえて耐えることはないのに。そんなことを真剣に思って問い掛ければ、日向は呆れたような顔で「お前なぁ……」と甘い響きを込めて吐息した。
「俺だけ与えられたりしたら、その後お前はどうなるんだよ」
それじゃあさすがに俺が最低な人間になるだろ。簡潔にそう言って、日向はそれでもひどく急いたように狛枝に後ろを向かせる。それにやや抵抗を覚えて、狛枝は「ボクは、そんな……」と口ごもった。
何故だか予めコテージのクローゼットに備え付けられていた、本来は避妊のためのそれを手早く取り付けてから、日向は躊躇う狛枝を余所に自身を深く沈めていく。やがて全てを受け入れられてから、日向は逸る心を何とか留めて、狛枝をいたわるかのようにゆっくりと律動を始めた。
「っ、や、あ……っ」
突かれる度にいやいや、と懸命に首を振る狛枝の様子に尚のこと煽られて、日向はほとんど飛び掛けた理性で狛枝を攻める。嫌がりながらも、振り向いた狛枝の瞳がどうしようもないほど快楽に溺れていることを知って、いたわり過ぎてしまうことはそのうち止めた。
「う、あっ、……は…っ、狛、枝、……っ」
「や、ぁ、……日向く、……っ、……んっ」
やめて、とひたすらに懇願する狛枝の声すら聞かず、日向が自身の快楽に集中すれば、先ほどから積もり積もった感覚で、すぐにでも達してしまいそうな予感があった。溶け落ちそうな絶頂の一歩手前をたゆたって、夢見心地に身を委ねれば、そこでとうとう耐え切れなくなって、日向ははち切れそうな自身の欲望を全て吐き出す。
「や、あぁぁっ!、……、うぁ、ぁ……」
フィルム越しに放たれたそれを受け入れて、狛枝もまた無抵抗なまでに絶頂に達する。そこには手酷い罪悪感と、それさえも跳ね除けるような絶大な恍惚が入り混じって――けれど、今はそれさえも全てが快楽に変わってしまうから。ぐったりとその場に倒れ込めば、自分を見下ろす日向と目が合った。
「ひなた、くん……」
なんとなく「ごめんなさい」と謝りたくなってしまって狛枝が謝罪の言葉を述べかけると、「そういうのは、良いって言っただろ?」と日向は咎めるような口調で言った。長くその身を奪っていた熱は随分と冷めているようで、ようやくアルコールを摂取する以前の状態に戻ったようだ。
「……でも、だってさ。こんなふうに……」
ボクなんかがこんな、気持ちよくなったりして、幸せだって思っちゃったら、キミに不幸が訪れるかもしれないのに。そんなことを一息に伝えれば、日向は呆気に取られたような顔をして、それから可笑しそうに、愛おしそうに微笑んだ。
「んなことはいいって言ってるだろ。別に、お前が押し通したってわけじゃないんだ。最終的には俺がお前を付き合わせたようなもんだし……それに、不幸が訪れるだなんだってのは、信じなけりゃそれで済む話だしな」
それから、と日向は続ける。
「まあ、その……これだけは言っとくけど、な。確かに結構切羽詰まってはいたけど、だからって、別に誰でもいいから相手にしたかった、ってわけじゃないぞ」
そもそも二人がこんな状況に至る結果になったのは、元はと言えば狛枝のせいだ。あの手この手を使われ煽られた挙げ句、不慮の事故でついに自制が利かなくなった。相手が狛枝だったからこそ、日向はその仕草のひとつひとつに扇動され、収拾が付かなくなってしまったのだ。
「……だから、そうやって自分を責めるのはやめろよ。いいか?」
「ん……。……うん。分かった、……と、思う」
たぶんだけどね。そんなことを口にして、狛枝はまだ戸惑いがちに視線を落とす。夜ならばこのまままともな格好もせずに眠ってしまうところだが、あいにく今は白昼も良いところだ。いそいそと衣服を身に纏ってから、疲れ切ってもう一度ベッドに倒れ込む。
「夕飯の前になったら、起こしてくれる……?」
もう駄目だ、眠たいや。狛枝がふわりと言えば、日向は「ん?……ああ、いいぞ」と返して少し笑った。
「やっぱり、次もまた食べてもらおうかな、チョコレート……」
そんなことをぽつりとこぼして、狛枝はつかの間の眠りに身を投げた。随分気を張っていたのだろう。自然すぎるほど自然に言葉を失くし、後には規則正しい呼吸だけが小さく響く。
「いや、アレはもう食べたくはないかな……」
出来れば、次はもうちょっとまともな方法で頼むよ。日向は眠る狛枝の背にそんなことを投げかけて、苦笑しつつも優しげな表情で彼を見やった。
――長い数時間を乗り越えたコテージには今、ひどく穏やかな空気が流れている。雨降って地固まる、って、こういう時のことを言うんだろうか。そんなことを思って、日向は数刻前の狛枝のように、ベッドに寄り掛かったままで吐息した。