アハハ、と自傷の言葉に声を上げて笑ってから、艶っぽい視線で日向を一瞥する狛枝は、「……それで、ボクのことを信じてくれる?」と妖しげな低音で日向を見上げる。それは懇願にも、はたまた強制にも似て、ひたすらに純真で、それゆえに歪んで、淀んで、ただ、どうしようもなく無垢だった。

「……俺はお前のことは信じてないぞ。基本的に。ただ、信じられないからこそ俺のやり方で呑み込むだけだ。それでもいいなら、ちゃんと漏らさず聞いてやる」
「……ふうん?うん、まあ、いいや。聞いてくれるんならどんな理由でも構わないよ。ボクなんかの話にわざわざ時間を割いてくれるだなんて、本当に日向クンは優しいなぁ」

そう少し下がったトーンで狛枝は言って、壁伝いに背を預けたまま日向の隣に座り込む。
日向に向けられる感情が時折揺れるように見えるのは、おそらく狛枝の中で絶えずいくつかの日向創がせめぎあっているせいだろう。ある時は誰よりも厄介な「絶望」であり、超高校級の絶望をアルターエゴという形で呼び戻してしまった「カムクライズル」として。またある時は、どんな才能も持たず、ただの凡人に過ぎない「予備学科生」の一員として。――そしてあるいは今、狛枝が希望を託そうとする、未来に向かい走ろうと決意する「日向創」として。

「……で、未来機関が希望じゃないってのはどういうことだよ?世界の絶望と戦ってるのはあいつらなんだろ?」
「結果論としてはね。とりあえずさ、ボクが昨日、あいつらの前で絶望のフリをしたのは本当なんだ。さすがにルールを無視したくらいで尻尾を出さないことくらいは分かってたからね。ちょっとだけ多めに教えてあげたら想像以上に怒らせちゃった、っていうだけの話だよ」
「……教えた?」
「……記憶だよ。ボクが未来機関について覚えていることを彼らに教えてあげたんだ。研究の役に立たない才能を持った人間を雑兵みたいにこき使ったり、更生に手間の掛かりそうな絶望した凡人を捕まえた傍からさっさと処刑してみたり、未来機関に都合の良い記憶だけを植えつけるプログラムを奇跡のように宣伝したり……まあ、そういうちょっとした内情をね?」

あからさまな憎悪を隠さずに、狛枝は「あれが希望だって?図々しいにも程があるよね……虫唾が走るよ」と表情を歪める。

「きっとこんな簡単なことさえキミ達は知らないんだろうね。……ま、知りようも無いか。江ノ島盾子に魅入られて、孤独に身を浸して破壊を繰り返していたキミ達絶望なんかには」
「……どういうことだよ?俺達が絶望だって言うなら……」
「ボクだって絶望だった、って?ウン、それはその通りだよ。……だけどね、日向クン。ボクは別に江ノ島盾子に唆されて絶望したわけじゃないんだ。そう、ボクは絶望したからこそ、あの女に絶望を求めたんだよ!……つまりさ、ボクはボクの意思で世界に絶望を欲したんだ。ボクは希望を愛するあまりに希望を見出せない世界に絶望して、絶望に希望を見出そうと絶望に歓喜する「絶望」になった。……だからさぁ、別にキミ達みたいに錯乱して何も見えなくなってたわけじゃないんだよね」

だからキミ達なんかと一緒にしないでよ、とでも言いたげな語気をはらんで、狛枝は呆れたように息をつく。「やっぱり肝心なところは予備学科生のままなのかな?」と挑発的な視線を投げかけてから、狛枝は絶望に満ちた世界に想いを馳せた。
あの頃、世界は確かに希望と絶望に分かたれていた。ただ結局は、その「希望」さえもまやかしの「希望」に過ぎなかったというだけの話だ。十分な才能をも兼ね備えた本物の希望は、あの頃のあの世界にはたった六人しか存在し得なかった。
――いずれは彼らの本物の希望さえ食い荒らしかねない身勝手な偽りの希望が、「希望」の名を騙ることなど許しはしない。ボクは彼らという新たな可能性を信じることで、必ずその絶望の本性を暴いて、ひも解けた絶望ごと沈めて、きっと光り輝く本物の希望だけを照らしてみせるんだ。

「……ねえ、こうは思わない?希望を虐げる希望は結局絶望でしか有り得ないんだ、って。最後に残った偽りの希望は、いつか畏怖の対象として絶望を振りまく存在になるんだよ」
「希望が絶望に変わる、だって……?」
「うん。……実際、それが未来機関の正体だよ、日向クン。彼らにはね、最初から希望を繋いでいくつもりなんか少しも無いんだ。求めているのは所詮、自分たちという存在が絶対的な「神」であることができる世界だけなんだよ。ああ、本当におこがましいよね!彼らは希望を何だと思っているんだろう?これは本物の希望への冒涜だよ!」

ふふ、と笑みを浮かべて言い切った狛枝に、日向はこの上ない気味の悪さと、いやにすんなりと理解の及ぶ感覚を同時に覚える。――ああ、未来機関に覚えたどうしようもない違和感はそれが原因か、と。狛枝の言葉を聞いた今ならば、彼らに対する不信の原因を素直に飲み下してしまうことが出来そうだ。
ただ、同時に狛枝凪斗を理解できない。それほど頑なに希望を信じ、希望を踏みにじる事柄を憎むのは何故なのだろう。まるで取り憑かれたように希望を愛することを自身に誓い、そのためには命すら投げ出そうとする狂気的なその姿は、さながら敬虔な教徒のようだ。

「……とりあえず事情は分かった。それで、どうしてそのことと、お前が死ぬことが繋がるんだよ?そんなことのために未来機関がお前を処分するんなら、逃げられるだけ逃げればいいだろ」
「……ハァ。裁判の時はあんなに頼もしく見えるのに、どうして普段のキミはそうなんだろうね。キミ、そんなにボクに呆れられたいの?」
「お前に呆れたいのは俺の方だ。どうしてそう毎度毎度、自分が死ぬことにこだわるんだよ」
「あのさぁ……別に、ボクだって必ずしも死ぬ必要があるとは思ってないよ。だけどさ、さすがに今回は逃れられないだろうからこうしてわざわざキミにいろいろ伝えてるんだ。そこのところを勘違いされると困るなぁ」

これだって、一応ボクなりに考えた末の結論なんだけど。この場所を選んだのも、キミを選んだことだって、全部ボクの意思なんだよね。言ってから、狛枝は日向をまじまじと見やる。そうして暗がりで見上げる格好になった狛枝を、至近距離で日向は見下ろす。
――大概滅茶苦茶なことを言っている割には、以前のように瞳が闇に歪んでいない気がする。そう思えるのは、この部屋の灰色が闇を薄めてしまうせいだろうか。それにしてはどこか切実めいていて、単純な狂気とはまた違う感覚を呼び起こさせる。

「じゃあ、あえて聞くぞ。何で未来機関の意図をわざわざ俺に伝えようとするんだよ。お前にしてみれば俺はただの予備学科生で、何の才能もない凡人なんだろ」

わざとらしく自らの平凡さを強調して日向が言えば、狛枝はぱちくりと瞬きをして真っ直ぐに日向の翡翠の瞳を見やる。今は暗がりにかげっているけれど、虚ろさの無いその瞳は澄み渡ってとても綺麗だ。

「確かにキミは凡人だけど、同時に希望でもあるからだよ。キミはあんなに深い絶望を見事打ち破って、その記憶を持ったままこの世界に帰ってきたんだ。しかも意図的に創られた「超高校級の希望」でもあるんだから、ボクがキミを選ぶのなんて当然だよね」

もっとも、それを伝えるだけが目的じゃないんだけどね。心の中でそう呟いてから、狛枝は微笑する。その笑みを見て取って、日向は視線を流して呟いた。

「……それだけじゃないんだろ?」
「え?」
「一体俺に何をさせようとしてるんだよ、お前は。わざわざこんなところに呼び立てておいて、まさか話がそれだけってことは無いよな?」

まだ何か意図があるんだろう。まるで走り書きのような文字で「ボクの最初の幸運の場所で」と。そう書かれたメモを寝泊りしているコテージに滑り込まされた挙句、その場所でわざわざ全てを伝えるような真似をするのなら。

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