あれから一週間ばかりが経つ。あの日からこれといった進展は無く、偶然とは言え、連日会えていた越前先輩ともぱったり会えなくなってしまっていた。今週は随分と練習メニューもきつかったから、疲れてすぐに宿舎へ戻ってしまうことも多かったし、そもそもそれどころではなかったという所為もあるのかもしれないけれど。

それでも時々見掛ける越前先輩の隣には、それなりの頻度で遠山先輩の姿があった。別段嫉妬心が湧くわけではないのだけれど、ただ、ほんの少しだけちくりと胸が痛む、ような。

けれど、もし。――もしも遠山先輩にそういう類の感情があって、越前先輩に同じだけのものを求めようとするのなら、その時僕はどうするだろう、と。この一週間巡り続けていた命題に、薄ぼんやりと結論は浮かび上がって来ていたりして。

導き出した答えは――僕自身にとっては少し不条理かもしれないけれど。それでも僕自身の感情に、一番整理を付けられる答えであることも確かなのだと、思う。

――もう決着を、付けよう。どんな形であっても、たとえ負け戦を予感していても。

「あの、不二先輩。越前先輩、見掛けたりされてませんか?」
「越前?うーん……彼、練習が終わるとすぐどこかに行っちゃうからね……」
「あ、見掛けてないなら全然いいんです!突然すみませんでした。お疲れ様です、不二先輩!」

覚悟を決めて越前先輩の姿を探せば、案の定すぐに見つかるものでもない。最近では先輩が姿を見せなくなってしまっても、青学の先輩たちは「いつものことだから」とあまり気にも留めなくなってしまっているし、越前先輩は越前先輩で、いつも同じ場所に居るわけでもないから居場所を特定するのには少しばかり苦労する。

――うん、それなら、あの場所へ行ってみようか。

こちらからでは見つけることが出来なくて、あちらからなら全てを見渡せてしまうあの場所に、何となく今日は居てくれるような気がする。遠山先輩はさっき元四天宝寺の先輩方と談笑していたのを見かけているから、今なら一人きりで話をしに行くことが出来るだろう。

さあ、なけなしの勇気を振り絞って。今はただ何よりも、本当のところを知りたいだけ。



***



十日間にして既に慣れつつあるそこへ足を運べば、予感していた通りに越前先輩の姿はあった。例によって携えている空き缶をくるくると回して、コートのほうを眺めていたみたいだけれど、その視線を追う前に今日は声を掛けられてしまう。

「……アンタも飽きないよね」
「どうも、こんにちは……」

ほんの15分前には勢い良く出て来たはずなのに、いざ先輩を目の前にすると今更になって緊張が募る。合宿が始まる以前にも、越前先輩が告白されたという噂は引っ切り無しに聞こえてきていた。その中には、僕と同じ――そう、男の名前もいくらかあったから、当時はひどく驚いていたものだけれど。

実際に自分が渦中の存在になってしまえば、これほどに周りが見えなくなってしまう。越前先輩は、男にこんな感情を打ち明けられることを嫌悪するだろうか。独りよがりにはなりたくないけれど、それでも独りよがりな僕自身のために、全てを留めることは出来そうにない。

「……今日は、お話があって来ました」
「話?」

なに、と取り落とされるその言葉を皮切りに、越前先輩は僕のほうを見やりつつ、どこか身構えたような体勢になる。ああ、やっぱり警戒心の強い人、なんだろうな。たった一言だけでなんとなく雰囲気を悟ってしまって、何が起こっても大丈夫なように壁を作るから。

「初めて会った時から、先輩に憧れてはいたんですけど。……その、なかなか話し掛けられなくて。だからこの間の合宿で初めて話せて、僕、本当に嬉しかったんです」

そう、そして本当は、憧れのままで留まってしまえば良かった、のだけれど。

「その後も何度か会いましたけど、僕、その度に気が気じゃなくって。舞い上がっちゃってたから、実は何を話したのか、ちゃんと覚えてない日もあったりなんかしたんですけど」

気付いたら、憧れ以上になってしまって。言えば、越前先輩は何も言わずに帽子を少しだけ目深に被る。たぶん、僕の言いたいことを理解してしまったのだろうと思う。――それでも「言うな」と言わないところは、やっぱり優しい。

「越前先輩。……僕、先輩のことが好きです」

迷惑かもしれません。まだろくに話もしないまま、それも男にこんなことを言われるなんて。振り絞った勇気で言い終えれば、越前先輩は何秒もの間を置いたあと、ひどく躊躇ったふうに「……ごめん」とだけぽつりと言った。

「そういうの、……応えられないから」
「僕が男だから、ですか?」
「……そういうことじゃないけど」

別に珍しくないし、そういうのって。どことなく気まずそうにそう言った越前先輩のその言葉に、どこか吹っ切れた思いで「ああ、やっぱりな」と僕は思う。断られることなんて、今更心のどこかで覚悟していたから。苦しくないわけではないけれど、大丈夫。

ただ、それが理由でないと言うのなら、断られる理由くらいはちゃんと知りたい。――たとえばあの違和感の正体が、僕のお節介な第六感と一致しているのだろうか、とか。

「……遠山先輩、ですか?」
「――っ」
「……うん。やっぱり、そうですよね」

ここまで来たら、遠回しに聞いていたって仕方がない。思って単刀直入に聞けば、動揺に声を失くしている先輩の様子がその答えを教えてくれた。

ああ、こういう時ばかり狙い済ましたように僕の予感は当たってしまう。きりきりと切なさに身を浸しつつ、言葉にはしようとしない越前先輩に、それはそれでもどかしさを感じる。

「……アンタ、何なわけ」
「だって、先輩分かりやすいんですもん。……越前先輩が触られるのを嫌がらなかった人って、僕の記憶では遠山先輩だけですから」

言えば、越前先輩は深く深く吐息して、「そういうこと……」と力無くごちる。――うん。最後に一度だけでも、僕の手で先輩の余裕を崩してしまえたから。ちょっとだけ、それだけで、もう十分。

――たぶんこの予感が当たったのなら、この間遠山先輩に感じた違和感も間違いではないのだろう。きっと放っておいたなら、自然と上手く寄り合う二人に違いない。この人たちは。

「困らせちゃってごめんなさい。……でも、僕のことはもう気にしなくて大丈夫ですから」

短い間でしたけど、好きになれて良かったです。散り際くらいは決めてやろうと気障な台詞を言い残せば、「……そう。じゃあお疲れってことで」と、予想外に幾分控えめな笑みで送り出されてしまう。

――ああもう、ずるいなぁ、そういうの。思いつつ、「先輩も」と一言返せば、先輩は相変わらずこちらも見ずに「うん」とだけ返事をくれる。その光景にどこか吹っ切れた気持ちを抱えたままで、僕は越前先輩に背を向けた。



***



宿舎に戻ろうとほんの少し歩けば、僕らが話していた場所のすぐ傍で遠山先輩に出くわした。やっぱり僕は四天宝寺の人とはタイミングが合わないのかもしれない。だって、何も今出会わなくても良いではないか。今遠山先輩と話をしたら、きっと余計な言葉を連ねてしまうのに。

「……聞いてたん、ですか」
「聞こう思って聞いとったわけやないんやけど……すまんな、戻るにも戻れんで」

戸惑ったふうの遠山先輩ではあったけれど、あの会話を聞かれていたにしては、思ったほど動揺している様子はない。ということは、たぶん全部は聞かれていないのだろう。前に僕も身を潜めたこの場所は、風向き次第で声が飛んだりすることがよくあったから。

「良かったら、行ってあげてください。越前先輩、やっぱりちょっと困ってると思いますし」

僕がそうさせちゃったので、こんなこと言うのも申し訳ないんですけど。言えば、「せやけど……」と躊躇いがちな遠山先輩の声。

「間違ってないと思うので、聞くんですけど……」
「ん?」
「遠山先輩も、越前先輩のことが好きなんですよね?」
「……せやな。渡したない思っとるんは確かや」

ライバルでもあるけど、それだけやない。僕の問い掛けにきっぱりと言い切るのは、僕が同じ感情を抱いていると知ってしまった所為だろう。

こういう潔いところ、やっぱり先輩は格好良いや。破天荒だとか、滅茶苦茶だとか、先輩たちは口々にそんなことばかりを言うけれど。たぶんそれだって、遠山先輩のこういうところをちゃんと知っているからこそ、愛情を持ってそんな呼び方をするというだけの話なのだと思う。

「あんまり放っておくと同じくらい強い人が現れて、取られちゃうかもしれないですよ!」

――なんて。引き止めちゃってすみません。それじゃあ、僕は失礼します。言えば、遠山先輩は「ほな、気ぃつけて帰り」とささやかに、けれど相変わらずの人懐っこい笑みを返してくれる。

――ああ、だめだなぁ、ほんと。あの人と同じ土俵には、僕はやっぱり立てないや。

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